2021年8月15日日曜日

できなくてもいいのにできたいこと

創作が趣味とかほんま終わってるわ~ってよく思います。

特に儲かるわけでもないし、誰が待ってるわけでもないのにめっちゃ自分に追われるし、タイミングによっては睡眠も減るしで、一体何のためにやってるんでしょうか。当然、仕事以外の時間でやってるしな。

じゃあ絵や音楽を仕事にすればいいのかというとそればちょっと違って、確かにその作業は楽しいが、創作みたいに自分の好きなものを自分の目的で作るのではないから、ちがうんじゃないかなぁ。やってみると楽しいんやろうけど。

ちなみに翻訳という仕事は楽しかった。「創作で自分のやりたい翻訳をやる」ということがそもそもなかったから、仕事になって利害が一致していた。

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話が逸れましたが「僕はなんで創作をやってしまうのか」の答えは4段階あり(今適当に考えた)、
順に
1. イメージしたものを形にできるという経験からの確信
2. 出来たときの高揚感
3. 「それええやん!」と言われる喜び
4. 見てくれた人が少しでも幸せになってくれること
ですね。
1と2は衝動レベルなので、創作しているときはすでに3.5くらいを考えています。

4にならんと世に出す意味がないとまで考えているのですが、それはもう出してみないとわからないことなので、自分の中で多少不完全燃焼であってもどこかには出す。あらかた完成したのにお蔵入りにするってことは1%もないかな。誰にも見てもらわれへんとか、その作品がかわいそうかな?と思って。出してからでないと価値が付かないですもの。

なのでツイッターに生焼けの料理をバンバン提供している意識はありますが、毎度申し訳ありませんが好きだと思ってくださる方はお付き合いありがとうございます。

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ちゃうちゃう今何を書こうとしていたかというと、お絵かきについて僕が今の課題にしているものたちを書き留めるところでした。

今の目標:ある程度まともに、苦しまずに描けるようになりたい。
まずは車とか家具とかそういうのは苦しまずに描けるのでクリアしていることにする。動物は難しそうやけど今必要にかられていないので置いといて、問題は人間です。

人を描けな話にならん!!

と毎日思ってます。今までも描いてますが苦しいですね~。中学のころ友達と適当な漫画を描いてましたが人の描き方を分析したことは一回もなかったです。それはそれで幸せだったはず。その友達、最近絵を描いたりしているそうなので今度電話で聞いてみよう。

今描けるようになりたいものは、髪、手、足、腕や脚の肉骨感、服のバリエーション、服のシワ、全身のアタリです。うわーほとんど全部やん。ひとまず顔や表情は無視。「目、描き込む気ねぇ~」と自分でも思ってますし、作風からしても目とか表情はあんまり詳細じゃなくていいと今は思ってます。

ただ急務なのが全身のアタリです。これを先にクリアしたい。

何故かというと、ネットで見かける絵で「うわ、なんか上手くはないけどめっちゃいい!」てのは決まって人(パーツの大きさや姿勢)やモノののバランスがいいからです。僕は「なんか上手くはない」絵が好きなので、それをやるにはパッと見の違和感は0に近づけておく必要があるのでは?

この人あんまり上手くないけどグルーブ醸し出してるなぁ!!っていう弾き語りの感動に近い。地道にメトロノーム練習やっている人だったりするのかなーと勝手に想像してます。

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かくして、何をやっているのかなと思いながらアタリ練習をやってます。これが来年くらいには効いてくるのだから、やめられません創作は。


2021年8月14日土曜日

まさに平和の祭典

こんなことを言っては怒られますが、僕は毎回オリンピックの時期はゆううつです。テレビをつけてもSNSでもオリンピックの話ばかりで、「こんなに素晴らしいのになんでお前興味ないの?バカなの?」と言われている気分になるからです。

ワールドカップの時もそうなのですが、なぜスポーツは国民共通の話題として取り扱われるのでしょうか。他のジャンルの世界的祭典のときもいちいち取沙汰してくれるなら文句ないんですけど。

僕は別にスポーツ自体に興味がないんじゃないんです。ルールが分かれば見ていて面白いですし、野球見に行きたいなーとずっと思ってます。競技自体を見るのも嫌いじゃないです。見だしたら最後まで見たくなる。自分のペースで見させてよ、じゃないとぉ、すぐにつぶれるぅぅぅう!すみません持病のぎりぎりちょっぷが出てしまいました。だからまぁメダル何取ったとかいちいち知りたくない。テレビやネットを見てると知らないことができないし。普通のニュースが見たいんですけども…。

五輪までのプロセスも含めて面白いのであるし、まぁメダルはすごいけど4位もすごいし、出場できるだけですごいですし。すごい。


大会では基本的にみんな金メダルを目指していると仮定して、金じゃないと悔しくて泣く人の気持ちはわかると思う。金と銀の差はめちゃくちゃ大きい。銀取ったら「○○五輪銀メダリストの△△さんです!」って一生紹介されるんやろうし、一般人からしたら「金ちゃうんかい、すごいけど」ってなりますよね。

だから「銀でもよかったやん、頑張ったやん」とか気安く言えるもんでもない。だから、金取った銀取ったとかは、周りがヤイヤイ言うものではなく、アスリート本人が腑に落とすものだと、僕は感じているような気がしないでもないとわかってきたかもしれない。ここが違和感の原因ではないでしょうか。

銅メダルが欲しいんや! ミスって銀取ってもうた!!泣 みたいな人がいればいいんですが。


一方、音楽とか絵とかなら「うまくなくてもそこがいい、いやむしろヘタやないとアンタの芸術は成り立たんよ」ってことが珍しくない。プロであってもね! しかしスポーツはそんなことなくない? 全然うまいことないけど、そこが最高!高確率でミスるけど、チームには居てほしい!とかある? 草野球的なコミュニティで和気あいあいとやっているのとはまた別でです。


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もしヘタでも評価されるなら、あるいは放っておいてくれるなら僕はきっとスポーツをやめませんでした。

僕は中学では陸上部で、日々の練習は好きでした。しかし大会は嫌やったなぁ。全員が出ないといけない大会とかもあって、「いや記録とかどうでもいいし上位に行かれへんのわかってるから楽しくないんやけど」と思ってた。今掘り起こしてみるとですね。ノルマなく走ったり跳んだりするのは好きでしたよ。

ギターを始めてから半年足らずで陸上部を辞めたのは、楽器演奏と自分の相性が相当よかったからに違いない。音楽にも頂点を決定する競争はあるけど、少し見方を変えると自分が評価される方法って無限の選択肢があると思う。ナンバーワンを目指さなくていいというのが「弱さ」だと後ろめたく思ったこともあるけど、やっぱこっちの方が自分には向いてます。あれがダメならこれで、とニュルニュルっと、やってて見てもらって楽しいものを続けていきたいです。


クソヘタな人を集めてフットサルとかバスケとかダンスをやるサークルがあれば是非行ってみたいです。でもその中で自分がうまかったらダメなんですよね。難しい。うーん、バンドサークルではそういう現象ありますね。

そう考えると弾き語りのオープンマイク界隈は個性があってナンボやから、最も平和な部類なのかなぁ。


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オリンピックに関しては金銀銅メダルを継続でいいです(誰やねん)。128色くらい作って、「笑顔がよかった」「オシャレだった」「いっぱい食べた」とか優劣つけずに多数の賞を与えるとか、しなくていいです。