2021年11月19日金曜日

エンタメの価値

絵を描いていてSNSに上げる際に音楽と決定的に違うと思うところは、一瞬で好きか嫌いか判断されるところですね。

音楽も好きか嫌いかは一瞬で判断はするのだけども、サビまで聞いてみようかなみたいなところがある。しかしSNSに載せた絵は長く見積もって0.5秒くらいで流されていきますね。それが僕にとっては面白いと、今は感じている。
絵を作ることにもそんなに時間をかけていない。簡単な絵なら30分~2時間くらいで完成する。それを投稿して様々な反応を体験できる。楽しい!

ツイッターの絵アカウントを作ってから僕な分際でたくさんフォローしていただいている。ただの相互目的とか宣伝目的の方もいらっしゃると思われるが、それでもやはりちゃんと僕の絵を見てくださっているのだなぁと感じることがちゃんとある。
褒めてもらっても「いやそんな勘違いです」と言い返したくなる天邪鬼な私なので、もう少し評価を真に受けていいのかもしれないなと思っている。そのほうが人生楽しいはずだ。

まぁ僕のことは置いておいて、絵アカウントで日々色んな人の絵を見ている。そろそろ追いつけない量になってきた。無限に流れてくる素晴らしい作品が無料である。こんなことがあっていいのだろうか... もちろん僕の絵も無料であって、それも本当はいけないことなんだろうが、僕は無料で見てもらうことしかできない立場だと思っている(それがいけないといっているのだ)。

いやー無料。いいのかな。そりゃもちろんちゃんとお金にしている人も、お金を払っている人もいる。その外側で無料で回っている絵って一体なんなんだろうか。

絵だけじゃない。あらゆるアマチュアエンタメですね。僕がサウンドクラウドに載せている音楽などもそう。無料が悪いって言っているのではないけど、収益化が必ずえらいって言っているのではないですけど、わかりますかこの気持ち。誰でも作れて誰でも発表できるので価値が低くなっているという今の社会の仕組みなのでまぁこんなもんですが。

おやすみなさい。


2021年10月10日日曜日

浴衣祭り2021!!

今年は全編配信でしたが、お誘いを賜り歌って来ました!2曲とのことで3分!短!アホか!

僕はこのくらいでいいんですってところが、よくもあり悪くもあり。


動画に映るのがどうしても苦手なので全身が入るくらい引きで録画しまして、オンエアを観たら僕以外のみなさんガンガンカメラ寄りですね。どういう心境なんでしょうか…羨ましい…

というわけでめちゃくちゃ地味な出演でしたが、こちらです。


1. 月がきれい

2. マフィンはどこへ消えた?


もうちょっと曲やれや!って感じだと思ったので、ちゃんと弾けなさそうな曲もいくつか練習として録画してみました。ひとつ「勝手にホットケーキ」をYouTubeに上げましたが、あとひとつ上げる予定です。

いやーでもいきなり練習してちゃんと弾けそうって思ったのはこれら2曲でしたよ。


オンエアは全部拝見しまして、いやー素晴らしいアーティストがたくさんいらっしゃいました。配信もそういう意味では大正解なんじゃないか。今まで見たことなかったけどすんごいよかった方がいました。一方的だがいい出会いをした。


声をかけてくれたさちやんありがとう。見てくださった皆さんありがとう。

↓たぶん10月中は見れるかも。僕は58分あたりからです。

https://youtu.be/9dNOe1MudGU



たとえばコロナがこのままシュルルと消えたとして、社会が平常運転になるのはそれはそれで怖いです。

ライブが入るといろいろプレッシャーを抱えるしスケジュール管理もしないといけない。集客のことや、お誘いを断るストレスもある。大変な活動をしていたのだなぁ〜と、のんびり絵を描いている今はそう思う。

かといって一生これでもいいのかというとそうではなく、やはりゆくゆくはライブを再開したい気持ち自体は純度100%です。

やはりDTM作家で表に出ないのではなく、現場で歌って人と触れ合いたいですね(人を選ぶくせして?!)。


またライブハウスでお会いしましょう。





2021年10月1日金曜日

アララギマタタビ/スリーポイントシュート

新曲を作ったっきり何も解説していなかったので、何かしら書いておきます。

あまりにも何も書かないというのも興味持てないだろうと思いますので。


●アララギマタタビ

5月くらいかな?ライブに出る夢を見た。

「この曲できるでしょ? やって!」と仲間に言われて、えーうーん歌詞見たらなんとかなるレベルかな?という不安と共にステージに立った。案の定、歌詞を見てるのに全然歌えなかった。歌詞が頭に入ってこないしメロディーも固まっていないじゃないか。しかも歌詞カードが部分的に絵しりとりみたいになっていた。これじゃスラスラ読めるわけがない。

うわーやっぱり「絶対大丈夫!」ってくらいまで練習してから披露しなあかんわ(何回目?!)っていう夢でした。


そのイントロと冒頭2行くらいの断片を元に作ったのが、この曲の1~2行目くらいまでです。

夢と歌詞のイメージが思い切り中央線だったので、歌詞のテーマは「中央線沿いに住んでのらりくらりとバンドをやっている、金はないが今の生活に文句もない(言える身分でないとわかっている)バンドマンの生活」にした。

人生などいつ終わるかわからないので、いつ途切れてもいいようにやることをやっておく、かつ覚悟をしておく。ただそれだけのことだ。

後悔なく人生を生きようといった趣旨の啓発を見て僕はいつも違和感を覚える。えっみんなそう生きてないん?!そらあかんで…と。えらそうなこと言ってすみません。

あと僕はGreen DayのBratという歌が好きで「僕の両親は近頃getting over the hillで元気がない」みたいな歌い出しです。over the hillが何なのか考えたことがなかったんですが、あるポッドキャストで40歳になる人に対してover the hillと言っていて、む、これはと思って調べたらそういう意味でした。山を越えるということは人生半分終わるということなんですね。こわ!

アララギマタタビの言葉自体は特に意味なしです。

https://soundcloud.com/ken-obata-2/araragi-202100907


●スリーポイントシュート

最近よく人のイラストを見る。自分が描きたいけど描けない絵、「あーそれ俺が描きたかったのに!」という絵を描く人もいる。そういう、やんわりナンセンスみたいな絵に合いそうな曲を作ってみるかな?と思って作りました。

といってもまぁ最近よく公園で絵を描いたり飯を食ったりギターを弾いたりするので、その総括みたいな歌です。


夏休みは暇を持て余した学生が公園にウジャウジャいた。とてもいいことだ(僕がギターを弾くのが気まずくて困っていたが)。

で、ある日、人の少ない時間にバスケットゴールを独り占めして延々とシュート練習をしている少年がいた。いやぁこれは入ったらこの世が終わるんちゃうかってくらい、入らへんのよ。何か根本的に間違ってるんちゃうのそれっていう。

で、あちらでゲートボールしてるお兄さんたちは本当に余裕というか、マイペースというか(そうではないかもしれんが、そう見えるだけで十分価値がある)、達観しているようでその対比が面白かった。

お察しの通り、どっちがいいというものではない。それぞれある、なんか知らんけどある。

で、僕は見てるだけ。(たぶん見てるだけじゃない、ということも含めて)


1番ができて、「しないのさ」にどうやって韻を踏もうか2日くらい考えた。押韻辞典を引くと「二八蕎麦」などが出てきたが、さすがに話の腰を折りすぎるので不採用とした。五輪の時期にあやかって「未来とは(ミライトワ)」ってことにした。とくにスタイリッシュな歌詞を歌いたいわけでもなく、ここはこの時期だったというしるしです。

あとは中東も非常に不安定になって、終わるはずはないとは思っていたけどこれはいよいよ終わらんなという想いも込めて、世界は完成せんなぁと書いておいた。

でもこの元ネタは、大昔に友達が梅田の終わらない再開発を見て言った「梅田らへんってずっと作ってるなぁ、いつ完成するんやろなぁ(いや、しない)」のセリフがもとになっている。

なんかすごく傍観しているなぁと申し訳なってきます。僕には僕の生活があると考えて生きるしかできないんですが。

9月は雨がやたら多かった。そんなのも盛り込んで非常に2021年夏な歌になってます。


1番ができたのはいいがこの歌の主題はどうしようかと考えあぐねた結果、少年のシュートにすべてがかかっていることにした。少年がシュートを決めることがゴールとは限らない。シュートなんかやめてマラソンをやるかもしれんし。

https://soundcloud.com/ken-obata-2/202100904a


なお、これらのリンクは自動的に消滅する。
(リンク切れしていたら最新のバージョンを探してね)


2021年9月11日土曜日

よく気付いた!

 フォロワー整理。恐ろしい言葉である! 

なるべく一生お世話になりたくないと思う。

しかしこれはフォロー整理の話である。


先日ツイッターのイラスト用アカウントを作った。以下のような、作るための用事(理由)が増えてきたからである。

・もっと絵をアップしたい(アップして初めて完成なので、せざるを得ない)

・僕の絵など見たくない人に対して迷惑をかけている(指摘されたわけではない)

・好みの絵アカをフォローしたとき、あちらからも絵描きだと認識されたい

・絵描きさんがフォローバックしてくれたときに、僕の弾き語り動画とかが流れてくると不気味なのではないか(指摘されたわけではない)

・それに完全に関連して、絵アカの人は絵のこと(および/または推しのこと)しか考えてないことが多いので、僕の音楽側の雑事を提供するのは控えたい


というわけでのびのびと絵アカをやっております。本アカと繋げたいときは適宜リツイートとかしてますが。



それと直接関係ないのですが本アカでちょっとフォローしすぎなんじゃないかと思ってフォローを減らしました。いえいえ、繋がってる人は誰ひとりとして外してないです。減らしたのは公式とか有名人のアカウントです。

そんなに常々入り込んでくるほど僕の日常に必要なのか?と思い、調べたい時に行けばいいやという考えに至りました。

どうしても好きすぎるものは自信を持ってフォローしていますが、その時のテンションで何となくフォローしてしまったものが膨大になっていました。(バンバンフォローしまくる時期があった)


フォローを減らした結果、今まで見落としていた生身の人間の(みんな人間、それはわかってる)方々のツイートがよく見えるようになりました。めっちゃちょっとのデジタルデトックスですね。

どちらにしてもツイ廃なのか?と言われそうですが、いやいやこれでも抑えてるしいろいろ創作はできてるから許してくれぇ。


SNSは自分に合った使い方を見つけないといけないし、定期的に付き合い方を見直さないといけませんね。



2021年8月15日日曜日

できなくてもいいのにできたいこと

創作が趣味とかほんま終わってるわ~ってよく思います。

特に儲かるわけでもないし、誰が待ってるわけでもないのにめっちゃ自分に追われるし、タイミングによっては睡眠も減るしで、一体何のためにやってるんでしょうか。当然、仕事以外の時間でやってるしな。

じゃあ絵や音楽を仕事にすればいいのかというとそればちょっと違って、確かにその作業は楽しいが、創作みたいに自分の好きなものを自分の目的で作るのではないから、ちがうんじゃないかなぁ。やってみると楽しいんやろうけど。

ちなみに翻訳という仕事は楽しかった。「創作で自分のやりたい翻訳をやる」ということがそもそもなかったから、仕事になって利害が一致していた。

***

話が逸れましたが「僕はなんで創作をやってしまうのか」の答えは4段階あり(今適当に考えた)、
順に
1. イメージしたものを形にできるという経験からの確信
2. 出来たときの高揚感
3. 「それええやん!」と言われる喜び
4. 見てくれた人が少しでも幸せになってくれること
ですね。
1と2は衝動レベルなので、創作しているときはすでに3.5くらいを考えています。

4にならんと世に出す意味がないとまで考えているのですが、それはもう出してみないとわからないことなので、自分の中で多少不完全燃焼であってもどこかには出す。あらかた完成したのにお蔵入りにするってことは1%もないかな。誰にも見てもらわれへんとか、その作品がかわいそうかな?と思って。出してからでないと価値が付かないですもの。

なのでツイッターに生焼けの料理をバンバン提供している意識はありますが、毎度申し訳ありませんが好きだと思ってくださる方はお付き合いありがとうございます。

***

ちゃうちゃう今何を書こうとしていたかというと、お絵かきについて僕が今の課題にしているものたちを書き留めるところでした。

今の目標:ある程度まともに、苦しまずに描けるようになりたい。
まずは車とか家具とかそういうのは苦しまずに描けるのでクリアしていることにする。動物は難しそうやけど今必要にかられていないので置いといて、問題は人間です。

人を描けな話にならん!!

と毎日思ってます。今までも描いてますが苦しいですね~。中学のころ友達と適当な漫画を描いてましたが人の描き方を分析したことは一回もなかったです。それはそれで幸せだったはず。その友達、最近絵を描いたりしているそうなので今度電話で聞いてみよう。

今描けるようになりたいものは、髪、手、足、腕や脚の肉骨感、服のバリエーション、服のシワ、全身のアタリです。うわーほとんど全部やん。ひとまず顔や表情は無視。「目、描き込む気ねぇ~」と自分でも思ってますし、作風からしても目とか表情はあんまり詳細じゃなくていいと今は思ってます。

ただ急務なのが全身のアタリです。これを先にクリアしたい。

何故かというと、ネットで見かける絵で「うわ、なんか上手くはないけどめっちゃいい!」てのは決まって人(パーツの大きさや姿勢)やモノののバランスがいいからです。僕は「なんか上手くはない」絵が好きなので、それをやるにはパッと見の違和感は0に近づけておく必要があるのでは?

この人あんまり上手くないけどグルーブ醸し出してるなぁ!!っていう弾き語りの感動に近い。地道にメトロノーム練習やっている人だったりするのかなーと勝手に想像してます。

***

かくして、何をやっているのかなと思いながらアタリ練習をやってます。これが来年くらいには効いてくるのだから、やめられません創作は。


2021年8月14日土曜日

まさに平和の祭典

こんなことを言っては怒られますが、僕は毎回オリンピックの時期はゆううつです。テレビをつけてもSNSでもオリンピックの話ばかりで、「こんなに素晴らしいのになんでお前興味ないの?バカなの?」と言われている気分になるからです。

ワールドカップの時もそうなのですが、なぜスポーツは国民共通の話題として取り扱われるのでしょうか。他のジャンルの世界的祭典のときもいちいち取沙汰してくれるなら文句ないんですけど。

僕は別にスポーツ自体に興味がないんじゃないんです。ルールが分かれば見ていて面白いですし、野球見に行きたいなーとずっと思ってます。競技自体を見るのも嫌いじゃないです。見だしたら最後まで見たくなる。自分のペースで見させてよ、じゃないとぉ、すぐにつぶれるぅぅぅう!すみません持病のぎりぎりちょっぷが出てしまいました。だからまぁメダル何取ったとかいちいち知りたくない。テレビやネットを見てると知らないことができないし。普通のニュースが見たいんですけども…。

五輪までのプロセスも含めて面白いのであるし、まぁメダルはすごいけど4位もすごいし、出場できるだけですごいですし。すごい。


大会では基本的にみんな金メダルを目指していると仮定して、金じゃないと悔しくて泣く人の気持ちはわかると思う。金と銀の差はめちゃくちゃ大きい。銀取ったら「○○五輪銀メダリストの△△さんです!」って一生紹介されるんやろうし、一般人からしたら「金ちゃうんかい、すごいけど」ってなりますよね。

だから「銀でもよかったやん、頑張ったやん」とか気安く言えるもんでもない。だから、金取った銀取ったとかは、周りがヤイヤイ言うものではなく、アスリート本人が腑に落とすものだと、僕は感じているような気がしないでもないとわかってきたかもしれない。ここが違和感の原因ではないでしょうか。

銅メダルが欲しいんや! ミスって銀取ってもうた!!泣 みたいな人がいればいいんですが。


一方、音楽とか絵とかなら「うまくなくてもそこがいい、いやむしろヘタやないとアンタの芸術は成り立たんよ」ってことが珍しくない。プロであってもね! しかしスポーツはそんなことなくない? 全然うまいことないけど、そこが最高!高確率でミスるけど、チームには居てほしい!とかある? 草野球的なコミュニティで和気あいあいとやっているのとはまた別でです。


 ***


もしヘタでも評価されるなら、あるいは放っておいてくれるなら僕はきっとスポーツをやめませんでした。

僕は中学では陸上部で、日々の練習は好きでした。しかし大会は嫌やったなぁ。全員が出ないといけない大会とかもあって、「いや記録とかどうでもいいし上位に行かれへんのわかってるから楽しくないんやけど」と思ってた。今掘り起こしてみるとですね。ノルマなく走ったり跳んだりするのは好きでしたよ。

ギターを始めてから半年足らずで陸上部を辞めたのは、楽器演奏と自分の相性が相当よかったからに違いない。音楽にも頂点を決定する競争はあるけど、少し見方を変えると自分が評価される方法って無限の選択肢があると思う。ナンバーワンを目指さなくていいというのが「弱さ」だと後ろめたく思ったこともあるけど、やっぱこっちの方が自分には向いてます。あれがダメならこれで、とニュルニュルっと、やってて見てもらって楽しいものを続けていきたいです。


クソヘタな人を集めてフットサルとかバスケとかダンスをやるサークルがあれば是非行ってみたいです。でもその中で自分がうまかったらダメなんですよね。難しい。うーん、バンドサークルではそういう現象ありますね。

そう考えると弾き語りのオープンマイク界隈は個性があってナンボやから、最も平和な部類なのかなぁ。


***


オリンピックに関しては金銀銅メダルを継続でいいです(誰やねん)。128色くらい作って、「笑顔がよかった」「オシャレだった」「いっぱい食べた」とか優劣つけずに多数の賞を与えるとか、しなくていいです。


2021年7月25日日曜日

PCがあればできる仕事

よく「 PCがあればできる」という点がポジティブに書かれているが、本当にそうなのだろうかー。僕もいいと思っていましたがなんだか嫌気が差してきました。


仕事(ひいては生きること自体)とは今あるものと引き換えに何かを得ることと仮定します。
PCを使う仕事だとずっと目を使っているので目が減っていく。力仕事だと足腰が減っていくのかもしれない。僕は趣味で音楽、絵、文章を作ったりするから目はそのために残しておきたい。平日など仕事のあとあんまり何もする気になれないというのは良くない。以前は仕事のあとライブに行ったりしてたからまだましだったかな。

仕事で病気のことばかり見るので色々気にしてしまう。「あぁこの病態はこう生きてきた結果だな」とかいうのを見ると、やっぱり自分もできる限り予防したいと考える。目も腎臓も肝臓も血管も骨格も悪性疾患系も気になる。気にしすぎるストレスも気になる。いつかは何かに罹ってそれを受け入れざるを得ないのだが。

僕は甘いものを食べても太りづらいので、実は血管の老化はズンズン進む方だったりするのでは?と根拠のない心配などもする。大きい声では言えないが、素直に太る人がうらやましい。

「好きな物ばっかり食べても長生きした人がいるから大丈夫」ではない。なぜならリスクファクターは人によって全然違うからである。毎日ステーキを食べているというご長寿を誰でもマネしていいわけではない。だから自分の身体の特性は理解しておかないと、あとで「聞いてないよ~」てことになる。

最近、自分は肩が凝っていてドライアイでもあるのではないかと思ってきた。どちらも自覚がない。アレルギーも敏感なくせに鈍感なのだ。なんか痒いな、まぁいっか...みたいな。もうちょっと心配しろ。

ステキな年頃になってきたのでメンテナンス強化と行きたいのです。


PCに話を戻すと、要するにPCを使わない仕事(あるいはあんまり使わない)をしたいなぁと最近空想している。テレワークじゃなくなること必至なので今すぐではなくていい。勤務体系がガラッと変わるかもしれないが、8時間PCを見る人生よりは絶対まし!と思ってきた時分なので後悔はしないだろう。そういえば今、副業もPCやスマホでできることが多いじゃないか。なおさら画面まみれです。だから副業もできないのです。


画面から離れたい。その願いに逆発想の折衷案はある。趣味を全部野外スポーツにしてしまうことだ。平日は公園のバスケゴールで練習とランニング、休日はフットサルサークルに入ってワイワイすればよい。音楽も絵もやめるんかいっていう...





2021年6月27日日曜日

絵のなんなのさ

出来る範囲でと考えて絵を描いてます。どんな絵柄でどうしたいのか、前よりも定まってきました。

とか「iPad買うか迷ってる場合ちゃうかったやん」てくらい、頻度的にはiPad使い倒してます(機能的には最低限ですが)。絵を描く効率も良くなってきました。

僕は絵もギターもピアノも英語にも時間を割きたいので、四六時中絵を描きまくっている人くらいにうまくなれるはずがない。だからどこかに落としどころが必要なのじゃ。


★絵描きとしてフォロワーを集めるのか
いいえ。
絵描きとして「どうやってフォロワー数を上げるか」という記事をいくつか読んでみた。まず画力はあったほうが良いとして、それとは別問題でジャンルを固定したほうがいいらしい。さらに言うとフォロワーさんが好きそうなものを描くことだという。
そうなってくると趣味で絵を描いている僕としては全くの本末転倒なので考えないことにした。
本気で描きたい人にとっては乗り越えざるを得ない壁なんだろう。


★何を描きたいのか
当初「描きたいことがなくなったらどうなるのか」と心配していたが、今や「普段ツイートしているようなくだらない内容を絵にすることがほとんどだ」という結果が出てきた。これだとわざわざフォロワーを集めて見てもらったり絵のアカウントを作る理由がない。
美少女ばかり描くようになったらさすがにアカウントを分けようと思いますが。


★どんな絵柄を描きたいのか
あんまり描き込んでない絵が描きたいが、それをするにしても正確に描く技術がいることがわかってきた。そりゃあパンクのマネだけしてやってるパンクと、紆余曲折を経てやってるパンクだと出音が違うからな。未修得のスキル果てしねぇ~って思います。今ところ伸びしろを埋めていく期間で、やらねばならぬことが目に見えているので、ある意味楽しい時期かな。ギターでいうとコードチェンジがスムーズになってきたあたり。
しかし絵柄に関して「イラスト」と検索するとあまりに素晴らしい女の子の絵とか、すみっこぐらしみたいな、あるいはいらすとやさんみたいなシンプルな絵がよく出てきて、僕が描きたいあんばいの人がなかなか見つからない。いるかいないかで言うといっぱいいるだろうけども。ツイッターとかで見つけ次第覚えておくしかないか。


こういう悩みってギター弾き語りの作風と活動をお考えるときと非常によく似ていて、あぁ僕は僕でしかないのだなと思いました。

半年後や1年後に自分がどんな絵を描いているのか楽しみです。

ツイッターでは【お前の中途半端な絵とか見たくないし】と思われてんちゃうか(思われてんやろうな)と気にしながら、気にしてもしゃあないか...とツイートしてます。僕の絵を気に入ってくれる方々には感謝申し上げます。
いずれあっと驚くレベルにはなりたいので、見ておれ...!


2021年6月14日月曜日

エコを超え

「エコバッグはエコじゃない」説があるそうで、こういう原理だそうです。
・130回くらいは使わないと元が取れない
 僕→500回くらいは使うでしょ…
・洗濯による環境負荷
 僕→月に0.5回くらいしか洗わないし(洗えよ)、普段の洗濯に1枚足すだけなんですが…
この点ではエコ基準はクリアしていると言えよう。

人によっちゃ全然エコじゃない使い方になるんでしょうけど。


しかし今回はエコバッグがエコかエコじゃないかではなくて、好きか嫌いかで話を進めたい。あと、必ずしもエコではないのでマイバッグと呼びたい。和製英語でよく出てくる【マイ】も気に食わないのだが、もういい、ここは日本であり、国外でこれを読んでいるアナタもきっと日本人だ。

僕は以前からレジでビニール袋をもらいたくない派でマイバッグ大好きである。何故なのか考えてみた。

★かなりのもったいながり
物を買って店から家まで運搬し、その後すぐに捨てられるのであれば、それはもはや、もらった瞬間からゴミだ。そんなの悲しすぎる。僕は子供のころからもったいないがりで、このメカニズムはたぶん、全うに使われずに終わるそのモノの人生の虚しさに寄り添ってしまうからだ。
なのでレジ袋は捨てずに置いておき、積極的にゴミ袋として使うのだが追いつかないので溜まっていく。指定ゴミ袋がある地域に住むともう排水溝の髪の毛を取る以外に使わないくらいになる。マイバッグを持つようになってからは家が袋で溢れかえることがなくなった。

正直言ってマイバッグを使いすぎて家のレジ袋が枯渇して困ることもあるので、そこはコントロールしたりもする。


★マイバッグは買い物袋ではない
汎用袋なのである。例えば買い物をする目的でなくてもちょっと出かけるときにタブレットをマイバッグに入れて行く。そういえばと思ってスーパーでキャベツを買ってタブレットと一緒にキャベツを入れる。
これキモイと思う人もいるんだろうが僕は裸のキャベツとタブレットが触れていてもでも気にしない。

レジ袋にタブレットを入れて出かけてキャベツを持ち帰ることも技術的には可能だが、ちょっとな。


好きか嫌いかで話を進めたいとしたはずなのに特に言うことがなくなったので、やっぱりエコかどうかの話をする。方針はコロコロ変える。
でもただ一つ、僕はマイバッグが「絶対にエコ」だとか思ってない、これだけはわかってほしい。

こんなマイバッグはエコじゃない。

★かわいい~って思って、持ってるのに買う
いいマイバッグを店で見かけると欲しくなるが、買うわけないじゃないか。マイバッグはもう5つくらいあるから。これは我慢ですらない。他人事だ。
マイバッグを複数持つのはエコじゃないという指摘があるが、僕は物の位置管理ができないので複数持ってないとそもそも機能しない。複数必要なのだ。でも5個あれば十分。なんか、大丈夫?

★粗品としてマイバッグを懐にねじ込まれる
いやいや、大量生産とか配布とかしたらあかんやん。欲しいって言ってないのに粗品でマイバッグもらってもうたやん。そこまで好きなデザインでもないし…まぁ使うけど。あと10年はもつな。


マイバッグが5つくらいあると言ったが、去年?めでたく取っ手がちぎれて袋の部分もヘタれたので捨てた一件があった。使い果たした達成感!
2011年にメルボルンのColesというスーパーで買ったエコバッグを日本に帰って来てからも使っていた。帰国後はメインでバリバリ使っていたわけではないにしろ、週1で使ったとして500回くらい使ったことにはなる。


たぶん、たしか、ワーホリ以前に一人暮らしをしていた時はやたらとレジ袋が溜まっていた。ワーホリに行ってから、オーストラリアでは基本的にレジ袋がもらえないので、この時期に「マイバッグを持つ」という感覚を得て日本に帰ったのだと思う。

オーストラリアでレジ袋がもらえない理由は確かめたことがないが、もったいないとか環境負荷がとかじゃなくて、単純に必要な理由がないんだと思う。メルボルンの巻き寿司屋でバイトしてた時、「袋要りますか」といちいち聞いていたが、9割以上が「No」だった。でそのお客さんたちは商品をマイバッグに入れるのかというとそうではなく、だいたい手で持って帰っていた。またはマイバッグではない、手持ちの袋類についでに入れていたかな。


レジ袋をめぐる真の社会問題は別次元にあり、実際にエコかエコじゃないかは場合によるしどっちでもいい。

ただレジ袋かマイバッグのどっちがエコか、敢えてここで結論を出すならば、手で抱えて持って帰るのが一番エコである。
つまり、抱えられる量以上は買わない。エコロジーでエコノミーじゃないか。そんなやつおらんやろ!

2021年6月6日日曜日

各種SNSの肌触り2021


絵を描く。できたかーと思ったらツイッターにまずアップする。インスタにもFacebookにもほぼ同じ絵をアップしている(大体ちょっと違う)。ツイッター以外にも上げる理由は、最初は色んな人の目に触れたいからだったが、今はもっと具体的な理由で、インスタやFacebookでしか繋がっていない親密な知り合いが数人ずついるからである。

Facebookはたぶん700人くらい「友達」がいるが、3分の2くらいはワーホリで会った人なので日本語で投稿してもほぼ反応がない。機械翻訳機能はあるが言語的に遠いものは翻訳が崩れて意味不明になったりする。タイの友達の投稿とか見てるが所々意味不明で、でも好きなのでいいねはする。といいか、そもそもワーホリの友達には疎遠になっている人とかもうFacebookを見ていない(ワーホリ目的でやっていた)人が多いので、今さら英語で投稿したところで反応がない。あるいは単純に僕がしょうもない人間であることがバレた。
という感じで僕の中でFacebookは荒野なのだが、好きな友達がいるのでめげずに投稿していきたいのである。

インスタは当初、面白い絵描きの人と繋がれるかなーとちょっと期待していたが、まったくそんなことはなかった。ハッシュタグ文化が恐ろしく発達しているらしく、タグをつければとりあえず知らない人からいいねはもらえるが、明らかに宣伝目的のものばかり。
先日試しに弾き語り動画を上げてみるとやはり宣伝目的のいいねがいっぱいついた。ジャイステに興味もなければ僕と一緒に切磋琢磨する気もないんだろう?!知らんけど!とか言ってないでここはまず僕から歩み寄るところなのだ。しかし、僕には美しいカバー動画を見てる暇がない。下手なアコギで筋肉少女帯やってる人とかと友達になりたい。僕の価値観が致命的に世の中から遠い。次からはタグは曲にまつわるものだけに限定し、「#弾き語り」みたいなのはしばらくやめてみようと思った。

ところで、noteでは少人数ながらも面白いつながりが生まれている。ポジティブないいねやコメントのやりとりができているし、おすすめアカウントの表示基準にもセンスを感じる。僕が好きな絵を描く人も発見できた。人間味のある絵描きさんと繋がっているので、あえて音楽のことはあまり出さないよう、絵のアカウントという方針で固まってきた。



一方通行で繋がれるタイプのSNS全般でよく悩むところだろうが、【アンタには興味ないけど私のことは見てよ♪】という態度のアカウントはどうなんだろうか…有名人ならまだしも、なんかこちらから興味を持つ確率はガクンと下がってしまうなぁ。
「あっちも見てくれる!」と思わせてよ、優しい嘘で永遠に騙してよ。永遠に続く打算ならそれは優しさよ。岩下の新生姜の社長のようにフォローだけでもしてもらえたら感激したりするじゃないか。それが真心でも計算でもどっちでもいいのだ。会釈して会釈を返してくれたら嬉しいじゃないか。

じゃあ僕はフォローバックしているのかというと、得体の知れないもの以外は出来るだけしている。得体が知れる方でも「うん?この人はもしかしたらフォローされたくない人なのかな?」と怖気付いて保留することもある。
そういえば一度、フォローバックしたら何の目的かわからない相互自己紹介みたいなDMをする羽目になったことがある。3往復くらいでまだ目的が謎だったので流石にそっと閉じた。明らかに趣味が合いそうなら内容ない会話でもいいけど、「音楽されてるんですか?どこでされてるんですか?」って、ツイートさえ見てへんのかいー。それならストレートに宣伝してくれ〜読むだけは読むから、読むだけは。


いかがでしたでしょうか? 
こういうのは良くないとは思いつつも長々と苦言を呈してしまいました。前みたいな頻度で友人と飲み散らかしたりしてないからですね…

苦言なんてね、呈するもんじゃないんですよ。←苦言


2021年5月25日火曜日

ひろこさんの話

こないだ昼のNHKラジオに谷山浩子さんが出ていたと知ったので、聴き逃しサイトから聴いてみた。谷山さんのことはほとんど知らないが、ラジオで喋ったりしないタイプかな?と思ったので興味がわいた。

とても有意義なインタビューだった。これは僕の共感ポイントを書いているだけであって、レポではないです。ご了承ください!!!!



●自分のライブなのに、お客さんは「早く終われー」と思ってるんじゃないかなって...

長年そう考えてしまってたそうです。
僕も毎回思いますわ…そうそう、ワンマンでも思いますわよね…
人生の大事な時間を奪ってごめんね、肌に合わなかったら走って退室してねって...


●自分の曲のほうがいいのになんで? 【自分が好き=みんなが好き】ではないことに気付くまで時間がかかった

わかりますわ…僕もマジョリティ向けのものに惹かれないことが多いので、自分が好きなものを作って発表して評価されないのなんで?って思いますわ…

なんでじゃなくてもう僕がマイノリティ寄りであって、それに反応してくれる人々を大切にするしかないんやなと、気付いたのは30歳手前やったかもしれない。


●自分自身は表に出たくないが曲だけには自信があった

わかりますわ… 自分の姿とか別に見たくも見せたくもないんですよね。作品だけ独り歩きしてほしい。
谷山さんは「自分で歌うならデビューさせてあげる」と言われ、自分の作品を聴いてもらうためなら!と自分で弾き語ることにしたそうです。


●客はひとつの固まりでなく個体個体の集まりであり、演者はそれぞれのお客さんに対して何かをしてあげないといけない立場なのだ

ちゃんとわかった気がしますわ…
僕はお客さんがなんか日常とは違う感覚になったり、頭や肩が楽になったらいいなと思ってライブをやってます。僕のこと覚えてるとか覚えてないとかどうでもええから。数日後に「あーなんかあのライブ楽しかったかもー誰かわからんけど」とかなってくれれば嬉しい。
それのもっと進んだバージョンだと思いました、谷山さんのは。

谷山さんによると、それ以前は「自分の曲を聴いてほしい」とばかり思っていたが、小規模ライブをやるようになってアンケートを読んだとき、「お客さんはそれぞれ、様々な事情や想いを持ってライブに来ている。それをなんとかしてあげるのが私であって、お客さんも緊張してるからこっちが緊張している場合ではないんだ」と悟ったそうです。
そう、何かをしてあげられる存在のはずなんです、そこにお客さんがいて、ステージに立ってる以上は。

ただし僕は補足したい。【お客さんのためだけに歌う】だけだと無味無臭のライブになる。そういうライブがよくある気がするなぁ。ちゃんと自分の楽曲やパフォーマンスを吟味しなければならず、それがやさしさなのだ。

ここでひとつ補足したい。僕がやってるようなライブではお客さんゼロとかあるからね!ゼロだとこの話の意味ゼロね!怒 
ちゃんと聴いてる人の役に立つようなアートをこれからもしていきたいね!


ググっても得られないような空気感と情報満載の素晴らしいインタビューでした。ひねくれた可愛い人なんだなぁと思いました。ありがとうございました。


2021年5月21日金曜日

iPadに慣れた頃の感想

僕は写真のガッキーが好きなんです。映像で見ると若干シュッとしてしまうんですが写真だと顔丸く見えません? まぁ写真一般についてそういう話は聞いたことあるんですが。そう言いつつも、ガッキーと言えば、小説呼んだことあるから「空飛ぶ広報室」を、誰かに勧められて「逃げ恥」を見ようと挑戦しました。録画しました。ところがどうでしょう、3話くらいから見れないんですよね。動作不良じゃなくです。ガッキーが他の男性と仲良くなっていくのを見ると「ガッキー、そっちはあかん! まやかしや!」と手が出てしまってもうじっとしていられない。めっちゃ好きやんていうね。しかしそんなに好きかというと、うーん街でポスターを見て顔面かわいいなと思うくらいで別に追いかけることはないし、うーん。でも結婚のニュースを見たときは雷に打たれたようでしたね。えっ、えっ、ドラマの発表を兼ねたフェイクニュース、みんな真に受けすぎやん、えっ?て。結婚おめでとうございます~えっ。という風に源さんの話をしないと感じが悪いですよね...実はほとんど知らないんです源さんのこと。

あっもう始まってますか? えっえん(咳払い)

ええとiPadに慣れてきまして、最初はAppleのシュッとした雰囲気にもぞもぞしてたんですが、Google系のアプリとかも入れましてだいぶ心にフィットしてきました。プリインストールのアプリはほぼ使ってませんが、消していいのかわからず、ホームからのみ消す方法も調べておらずです。


☆Color Noteというメモアプリ(Androidで同期して使ってた)が使えなくて大ダメージを受けていましたがNotebookに落ち着きました。
①AndroidとiOSで同期できる 
②リストが作れる 
③リストを並べ替えできる 
④文字の大きさが変えられる 
⑤アプリそのものが軽い 
⑥「こんにちは! 今日の予定はありません」とか不要
これらの条件を満たすものがなかなかなかったんです。Evernoteが優秀と聞いたので使ってみたが情報過多で使えなかった。仕事にはいいと思う。ちなみに仕事ではOneNoteを使っております。

☆iPadのメディバンペイントにも慣れてきました。やっぱ画面が大きいといいですね。多分もっと大きくてもいいけど邪魔かな。アップルペンシルの筆圧も調整方法わかったし。クリスタは有料と思うとやはり手が出ず。

☆あとはガレージバンドを開いてみたらやり方がさっぱりだったので山川さんにテレビ電話で教えてもらった。さすがにCubaseとまではいかないが手軽に多重録音ができるのは素晴らしい!

☆動画とか撮ってみたらすぐに【iCloudいっぱいです】メールが来て、いやいや同期した覚えないやん、フィッシングや!と思ったらほんまもんやった。最近はデフォルトがクラウド同期か。データなんか儚くていいよ。端末踏みつぶしたらいっしょにロンググッバイでいい。大事なデータだけは大事にするからいいよ。

無印iPadでこんなに快適なのだから上位機種ならすごいことになるんだろう。しかし僕にはこのくらいで、身の丈に合っているという感想です。もっと早く買えばよかったです。



以前よりも手軽に絵を描けるようになったのでイラストをアップする頻度がちょっと増えてます。でもツイッターに下手な絵をばらまくのが申し訳なくなってきました...そんなん思ったらあかんのはわかってるんですが~

ではまたしばらくで。

2021年4月29日木曜日

iPadが到着の巻

iPadほんまに届きました!

Apple Storeで注文してから3~4週間かかるとのことで、他の店では売り切れだったので、うーんこれは「やっぱ無理でした~iPadはもうこの世にないです」って言われるやつかな?とか思ってましたが、ちゃんと3週間で届きました。早い!


あるいは僕のほうからiPadに冷めてキャンセルするかもしれなかった。3週間後の好き嫌いなんて誰がわかるだろうか。


したがって、ほんまに我が家にたどり着く

のか不確かだったため、アクセサリー類を何一つ準備していなかった。iPadが届いた日、「うお~俺のような身分でiPadなど持ってしまっていいのか?!」と高揚と緊張に襲われつつ3日ほど放置。


ようやく保護フィルム(紙っぽいやつ)だけ入手したので、持っていたペンで試しに絵を描いてみたが、パームリジェクション非対応な上、メディバンペイントiPad版の使い方がわからない。これは慣れるまで時間がかかりそう。


1週間くらいして、本体カバー兼スタンド、Apple Pencilも揃いました。


Apple Pencilの描き味はこれまでのスタイラスペンの比じゃなかった(ほかのすごいペンは使ったことがないため、一番いいかはわからん)。筆圧感知は初体験なので、これまた慣れるまで時間を要しそう。


というわけで先週はなかなか絵が描けませんでした。


∗∗∗


アクセサリー類にもお金がかかったな~とダメージを喰らっていたので、2017年に買ってあんまり使ってなかったKindle Paperwhiteを売って受け身を取ることにした。コンパクトなのがウリで画面も美しいが、僕にはサイズが小さすぎた。


メルカリに出すと数時間で買い手がついた。結構古いモデルやしな~と気にしてたが、調べてみるとバンバン流通していたのだ。定価は16280円(から、キャンペーンで4000円引き)で、今の中古相場は5000円。


有能なタブレットは単なる消耗品ではなく資産なんやなぁ。iPadもなかなか値段が下らんやろうから、何かの事情で首が回らなくなったら質に入れることになるやろう。


iPadの話はつづく!

2021年4月1日木曜日

iPadを注文の巻


まずはじめに、僕はFire HD8というタブレットを使っている。これが安くてね、本当に安かった。しかしこれが、使いたいアプリがまるで入らなくてね。本当にびっくりするから、見ます? アプリストアがグーグルでもアップルでもないですからね。

お絵描きアプリとしては幸いにもメディバンペイントが使えたので、色ぬりくらいはできてるけど、パームリジェクション機能がない。毛筆みたいに手のひらを浮かしてペンを運ぶのもそろそろ馬鹿馬鹿しくなってきた。こんなにしょっちゅう絵を描くことになろうとは。


そこでiPadを買おうかと先月検討し始めたときに、そろそろ新型の無印iPadが出るかもという噂話を見た。じゃそれやがな。ところがどっこい、噂になっている予定日が過ぎてもいっこうに新製品の発表がないではないか(とツイッターのみなさんも言っている)。


いろいろ考えた結果、現行のiPadを買うことにした。

最新のスペックとかじゃなくて、僕は今この不便さを今解消したいのだ。仮に今新製品が発表されたとしても入手困難だろうし、入手できたとしても初回ロットなので品質は正直どうなんだろうか。現行のiPadで十分ではないか。待ちぼうけを食らっている暇はない。僕は明日しぬかもしれない。ライブを始めてしまって絵を描く暇などなくなるかもしれない。今、今必要なんや!


ということで、各種通販サイトでは売り切れだったのでアップルストアを見てみた。ら!あるやん!

ところがどっこい、注文画面に進んだらお届けが3~4週間後。ガビーンということでそこから2日ほど寝かせたが、やはり3~4週間くらい寝ながら待とうということでやっと注文しました。発送準備ができるまではキャンセルできるみたいやし。


こんな気持ちになれた理由のひとつのして、2月3月は僕働きまくってる。もういらんっていくらでも仕事があってみんなひいひい言ってます。たぶん4月も続く。だからiPadくらい買っても、もしそれが間違いであっても、たとえ到着するころにiPadに飽きていても、バチは当たらんだろうと、そういう論理です。


イラスト用のツイッターアカウントを作って気兼ねなく絵をあげるとか、したほうがいいんかな~とか考えてます。そこまでする必要あるんだろうか。でもあんまりねぇ、普段用のアカウントで絵をあげまくるのは気を使うんです。


2021年3月27日土曜日

フォロワーが減るのは良いことである(エセ論文)

背景:ここ1年くらいで、僕の中でツイッターのリスト機能に対する理解が急速に深まり、公式アカウントもどんどんフォローするようになった。タミヤ模型の投稿とかヨダものです。そういうわけで今フォロー数がフォロワー数を大幅に上回っております。フォロワーの方が多くないと嫌だとかは有名人になってから言えばよいな。


対象と方法:時折、ふとフォロワー数を見ると減っているのに気付いて悲しくなるのだが、アプリの動作がおかしいだけのときもある。どっちにしても誰が去ったのか知りたくないはし、ツイッターをやめたかスパム的アカウントが消えただけかもしれないのでまぁいいのだが、軽く人格を否定された気分にはなる。


考察:しかしちょっと待ってほしい。もちろん人格を否定されたわけではないとして、僕に興味がなくなった人が去っていったならば、つまり僕のことを好きな人しか残っていないじゃないか。

ミュートしてる人はフォローし続けてるやんとかそういうのはここでは考慮しないことにする。いや逆にミュートされているのをカウントしたとしてもよくて、僕に興味を持つ人にしか見られていない割合が増えるということは、僕はさらに自由に行動していいわけだ。


結論:フォロワーが減るのは実は良いことである。しかし当然身分はわきまえておく必要がある。これからも引き続き有益であろう情報(ほんまか?)をなるべくナンセンスに発信していくので、どうかお付き合いのほどよろしくお願いいたしたい。

2021年3月19日金曜日

ちょさっけん


ともかく僕は最近著作権をことを気にしすぎてダメです。いや、むしろ良いことなんですけど。


先月くらいはグリーンデイのピアノアレンジが楽しくてやってましたが、ツイッターに上げられないじゃないですか。いや、最初一つ上げましたけどね。

ツイッターはカバーダメなんですよね、ホンマは。やってる人はたくさんいるし僕もありがたく視聴しますけどね。


YouTubeはカバーいいらしいけど、ミスったらあかん雰囲気ない? ツイッターはミスってても「今の僕です」なノリで、その時だけ見られて捨てられていくのがいいんですよ。わざわざYouTubeに載せるクオリティでグリーンデイ弾けないです。グリーンデイが傷つく。

ツイキャスもカバーいいらしいですが、リアルタイムでそんな毎回通せるほど上手くないし...


というわけでオリジナル曲『虎の門のトラネコ』を練習してます。自分にとっては著作権フリーやからな!


絵に関しては、レベルの低い模写もよくしてるんやけど、これまた著作権の関係でネットに載せられないですしね。一方で自分なりにアレンジして描いたドラえもんとかを載せるのはOKだったりするらしいんですが、なんかもう考えるのがめんどくさくて上げてません。


無断で他人の作品を使って金儲けしなければ別にいいんじゃないかとか思うんですが、いろいろあるんでしょうし、頑張って自分のを作ります。怒られるの嫌なんで...


2021年3月2日火曜日

note半年

noteを始めて半年くらい経った。無事にイラスト置き場として方針が固まってマッタリと続けられています。noteで絵を描いてる人を探してnoteでフォローしたり、あるいはどこからともなくいいねやフォローしてくださったりして、コミュニケーションが取れている。なんと嬉しいことかー。

noteって別にイラストに向いているサービスでもないとは思うんです。実際に、細々とnoteでイラストを載せてる人をツイッターで見るとものすんごかったりする。しかしnoteは記事の置き場としては見やすいから、いいのではないかな。

僕はnoteで説教臭い記事を読みたいのではなく(むしろnoteの売りはそれなのだが)、絵と文がまとまって10秒くらいで読める記事を浴びたいのだ。そう考えてみると絵の消費って一瞬だし虚しいのかなとか思ってくるのだが(ツイッターなんか1秒かそれ未満とかでしょう)、いやいや芸術とは脳みそや心に衝撃を与えて楽しくなったり懐かしくなったりを楽しむものであるから、時間では計れないものんですよ。からの~、じゃあ自分の作品も消費される時間は一瞬だから手を抜いていいのかというとそうではない。手抜いてるどね。なんで手を抜いてるのかっていうと、ゆっくりやってると完成するまでにやめたくなってお蔵入りするから、やめたくなるまでに完成させる必要があるのだ。少なくとも今は、こんをつめて大作を築く時期ではない。

絵の描きかたの本を、この半年で4冊買った。開いた瞬間に好き!って思える参考書があるとつい買ってしまうので、あんまり本屋に行かないようにしてます。好き!って思える参考書は絶対使うんですけどね。最近お絵かきのダメなところが見えてきて嫌になってきましたしかし! ギターを20年もやってきたわしゃあどうやったらこの山を越えられるのかがわかる。わかると思う。あかんところを少しずつ直していって、なるべく間違っていない方法で練習を繰り返す。1000回に1回、100に1回成功するようになる。没頭できるならこれである程度のところまでは楽になれるはずだ。

僕は絵がうまくなりたいというよりも、描きながら苦しむ頻度を減らしたいのだ。ギターを弾いているときはちょっと新しいことをしても苦しくない。あんまりうまくないけど、それっぽい音を出す方法を心得ている。そんな風になりたい。僕はペンの持ち方がおかしいのでまずそれを直すべきか。

noteに書けよっていう...

2021年2月21日日曜日

ラルクアンシエル

去年の秋に、シャイニーズの次作のアレンジが終わり、最近ようやくミックスが進んでいることをここに書いても差し支えないであろう。ノム氏のブログにも書かれているから。

そのミックス案を聴いているとラルクアンシエルを思い出したので、ここ2週間くらい僕はラルクアンシエルを聴きなおしている。なぜラルクアンシエルを思い出したのか書いてもネタバレにならない気はするが、その辺はシャイニーズの音源が出てからにする。

免責事項:ラルクについてめっちゃ詳しいわけではないので、間違ってたらすまん。


●2000年頃で止まってる

僕がエレキギターを始めた西暦2000年、グレイとラルクが大人気で、両者を聞きまくっていた。ラルクに関してはスーファミのソフト『音楽ツクールかなでーる2』にバンドスコアを何曲かまるまる打ち込んだりしてとっても勉強になった。今のアレンジにも実はかなり影響している。

「REAL」というアルバムを狂ったように聴いていた。それより前のも一通り借りたが、やはりREALが一番好きだった。そのあと2004年に「SMILE」がリリースされたが、そのころにはもう僕はメロパン畑のライブハウス浸りだったので聴かなくなっていた。そんな僕に愛想を尽かしてラルクも活動休止した。

SMILEはいつかのタイミングでレンタルしたようで、ずーっとデータだけは持っていた。先日聴いてみたらよかった。今なら素直な気持ちで聴けるわ。それ以降のアルバムが聴きたくなってツタヤに行ってみたが、そういえばカードの有効期限が切れているじゃないか。めんどくさくなって帰宅。いや、カードくらい作れよ。

ちなみに、サブスクは元が取れないのでやらないんです。僕音楽聴かない時期は全く聴かない、かつ、そのオンオフの波が予測できないので、いつでも聴けるように物理的に所持しているのが一番いいんです。物理的にとか言うなら買えよ。


●ギター

ライブハウス浸りだったころに、同い年でラルクガチファンのドラマーの女の子がいた。その子が僕のギターを褒めてくれた時に、僕が「いやぁ適当やで」みたいなことを言ったら、ラルクのkenちゃんも適当って言ってるで!と教えてくれた。

そして今改めて聴いてみると、こんなギターでええのか?!これでギターソロ??!!ていうのが多い。2000年ごろ僕はバンドスコアを見てギターを練習していたのだが、ラルクのギターは譜割り覚えにくい。ソロになるとよけいに、こんなん覚えれるかいっていうのが多かった。しかしこれは、わざとタイム感なくして弾いたりとか、ランダムに弾いたりとかしてるんやんって今の僕から言ってあげたい。譜面にする方が間違ってるっていう(でも商売だからバンドスコアにはする)。

スコアにはwith feelingとかsimile(ええ感じで、同じ感じで)って書いてた気がする。気がするってのは、3冊あったラルクのスコアが手元にない。昔友達に貸したまんまなのだきっと。と思って本棚を見ると「ark」だけはあった!

何が言いたいかというと、僕もこんな適当なギター(特にソロ)を本当は弾きたい。だがしかし少なくともバンドメンバーが許してくれない。そこの音おかしない?って言われたりした経験があるから、それが小さなトラウマになっているのだろう。音おかしいのがええんやんか! 

だからken氏はメンバーに恵まれてるなぁと思った。2000年式オバタからは出てこない感想でした。

●ドラム

僕がラルクを聴き始めたとき、ドラマーは既にyukihiroだった。細めの音で細かいことするドラマーが好きなので僕はよかった。今ベスト盤を聞いてみると、「虹」の前と「虹」からで全っ然違いますね。似せる気なし。怒っていいレベルだ。前のラルクは解散しましたって感じ。そぉんなにロートタムポコポコやります!?って。昔の僕は何も感じなかったので、僕も成長したのだなぁ。
「似せる気なし」は良かったり悪かったりする。メンバーが変わると何しても叩かれるので、もう似てる人探すんじゃなくて生まれ変わるほうがよかったりするから、そっちを選んだのだろう。

ところで僕の好きな某バンドのギタリストが変わった時、僕は「あぁもう終わった、続いてるけど解散した...」と思った。友達に怒りをぶちまけた。ギターファンだからそうなるだけかもしれん。何故かというとそのバンドはドラマーが変わりまくっているのに僕はそこは全然気にならないからだ。いや、sakuraからyukihiroみたいには変化してないからかも。


●ベース

高校のころよくベースを弾いていたんですが、その時オレンジ色のベースを買いました。ラルクのtetsuの影響でオレンジ色。今の録音にも使ってます。

NEO UNIVERSEで6弦ベース使ってましたね。あの曲は大好きで、中学校の校歌になればいいと思ってました。特に何がいいって、ギターもベースもドラムも、ほとんどバックトラック任せで、あんまり楽器弾く気ないんですよね。出版社によってバンドスコアの採譜のしかたが違って、シンセベースが人力ベースとして、6弦ベースがギターとして取られてるスコアも売られていた。ラルクに興味ない人が採譜したのか、現実的な演奏を踏まえてそうしたのか。

●ボーカル

高くて出ない...


●まとめ

いかがでしたか?(まとめによくある無意味な問いかけ) 
全パートについて書くつもりじゃなかったのに書く流れになってしまって面倒になりましたが、メンバー4人とも好きです。ラルクは4人とも作曲するところがいいですよね。アレンジも楽曲自体のセンスも素晴らしいと思います。ギターが何本も入っててシンセ類も多いのにライブでどうやってるんやろう。ライブビデオとか見んからなぁ。見ろよ。苦手なんですよ映像は...これについてはまた別の機会に。今日も元気にいってらっしゃい。


2021年2月4日木曜日

最近の英語らへん


☆Green Dayの歌を覚える計画としては、思い付き次第プレイリストに入れ込んで今16曲にもなりました。実はこのへんの曲は長年覚えようとしてはやめるのを繰り返してきたものがほとんどなので、すでにだいたい覚えています。


☆さておき、最近NHKのラジオ番組「ニュースで英語術」を聴いております。5分番組なので負担が少ない!1分くらいのニュースの抜粋を解説してくれて、最後に通しで流してくれる。番組サイトにはスクリプトと、ニュースの背景を含めた解説が載っている。文法の解説もちょうどいいし。もう2週間くらい続けているのでしばらく続けられるかもしれない。

本当はシャドウイングまでやったほうがいいんやろうけど、そこまでやると嫌になってやめそうなので、耳だけで手ぶらディクテーション(紙とペンを持ちだすと嫌になってやめるので)で聞きとれるまで聞くというルールにしております。

インド英語リスニングの本は進んでません。やっぱ本開くってのが1つの障壁なんですよ。ふざけんなって感じですけど。本なくすし。いやいや、そのうちやりますので…


☆ところで新型コロナの影響でTOEICが気軽に受けられなくなっているようですね。調べてないけど。のんきにしていたら僕も直近のTOIECからこの初夏で2年経つはずです。調べてないけど。2年を過ぎると実質的に資格喪失なのですが、会社からはまだ何も言われてません。厳しい会社なら指摘されてると思うんやけど、みんなどうしてるんやろう。猶予期間とか設けてるんかな。調べてないけど。いやいや、そのうち調べますので…


では、アスタラプロクシマ。

2021年1月30日土曜日

ピアノの練習2021

 もう今まで何回だったかわからないくらい、ピアノを弾いてみては挫折というか忘却を繰り返してきているが、今月なぜかグリーンデイの曲をピアノで練習し始めた。


きっかけはきっとこうだ。

・自分の曲を練習しなくていいので英語の練習がてらグリーンデイのギター弾き語りをやってみる。半音下げの曲なので、アコギだとカポ処理を考えるのが楽しい。

・寒すぎて公園でギターの練習ができなくなってきたのでピアノをさわってみる。

・コード少なそうやし弾いてみるか!


まずWhen I come aroundという曲を弾いてみることになった。キーはGの半音下げでF♯(G♭)であり、ピアノだと初心者にとってはまあまあめんどくさいのだが、コード4つの2小節を完璧にすれば9割弾ける。これはいけるのではないかと。そしてギターソロも再現できそうなレベルなのでアレンジしてみた。それがこちらです、とYouTubeのリンクを貼れるくらいにはなりたい。


しかし僕らしいことに、どんどん別の曲にも手を広げ始めた。たぶんリズムパターンを2、3個習得すれば初期のグリーンデイはだいたい弾けると思う。僕はピアノを弾くならばバラードでなくロックやポップスが弾きたいタイプなので、いい流れだ‼


When I come aroundが板についてきたので自分の曲でも弾いてみるかグヘヘと当然なるのだが、やはりコードチェンジが多すぎて無理だった。しかし黒鍵を使うコードにはかなり強くなったぞ。この調子だ‼


昔、大阪に住んでいた頃に、東京土産としてJR東日本発車メロディー集のCDを買った。その音源が奇跡的に今のスマホにも入っているので、そちらからも何曲かコピーしたいと思っている。


※とかブログに書いてから興味が自然消滅するのがいつものパターンです

2021年1月9日土曜日

臥床!

今年もよろしくお願いします! みなさんにとっても素敵な一年になりますよ。知らんけど。


寒すぎて動けないため臥床です。今年はめっちゃ寒くないですか。毎年こんなに寒かったっけ? 仕事前の朝活とか夜更かししてミックス作業とか論外なんですけど。けど何。


今年の抱負はとりあえずなしで、昨年の春以降に引き続いて適当に思い付いたことをやります。今年の抱負は「生きること」とか思ったが、それはしぬと言っているようなものなので却下した。合法という言葉が示唆する違法性、にはあんまり似てないけど、言葉はしばしば逆の意味をほのめかしますね~。


抱負ではないけど、やりたいなーと思ってること。

・もうちょいマシな絵を描けるようになる

・そのために、iPadが欲しい

・ピアノで簡単な洋楽曲を練習中→ついでにピアノに慣れる

今思い付くのはこれだけか。すくなっ! でも絶対ここに書いたことなどすぐに忘れて何かを始めるはずなのだ。英語の勉強もしたいけど、いつも知らぬ間に止まってるしな。やっぱ洋楽の練習はいい折衷案かも。弱いけど。しかも公開予定がないといつの間にか練習をやめる、これも問題やなー。

一方、絵は去年いっぱい描いたので上手くなったかというと、そういう実感はない。紙にならもとからこのくらい描けるわいと思っている(ただ描き慣れてきたのはあります)。それよりもお絵描きアプリの使い方がだいぶわかったのが大きな収穫だった。長くなりそうなのでこの件はまた別に描こう。


あと去年はマカロニサラダを作る動画(上から定点カメラ)を撮ってみたのだが、今のところ編集もせずにお蔵入りしている。動画編集も慣れが必要で、やり始めないことには全然楽しくならんし、iPadさえあればなぁという結論に甘えている。ある日突然ポストにiPad入ってけえへんかなぁ。なんでって、あれ薄いしポストに入るでしょ。


今年もようわからん感じでよろしくお願いします! 何もやらんってことはありえないので! 何かやりますんで!