2020年9月14日月曜日

ギターを修理に出した

なんとなく横文字を使うのが恥ずかしいのでリペアじゃなく修理と言っておく。でも「リペア」には調整や整備の意味合いも含まれているので便利なのだ。ほんまか? 


2年ほど前に知人に紹介してもらったお店がある。行こう行こうと思っていたのだがライブがあると全体のスケジュールに修理期間を考慮しないといけないのが面倒で、結局行ってなかった。

今世界がご存知の有り様なので、いや、なのでのわりにはだいぶ経ったが、今がチャンスと思い立ち修理に出してみた。

修理と言っても決定的に壊れているわけではない。ただ、具合があんまりよくないガタガタのままずっと使っており、これでいいはずがない。オーストラリアに行く前にタダ同然(タダだったかも)で譲ってもらったギターなので、ちゃんと金をかけて面倒を見てあげないといけない。しかしこの飼い主はケチで面倒見が悪かった!(でもいろんな場所に連れ回しましたよ)


かなり放置していたのであんまりケチるのはやめようとは思ってたら5万円は超えた。まぁ今まで使った分とこれから使う分だと思えば安いもんか。

リペアする人も当然人間らしい生活をしてるわけなので5万円くらいもらわないとやってけないよね~てぐらいの作業が発生した。僕のギターはオクターブ調整がどうしても合わないので今までプラスチック片(甘さ控えめでおいしい羊羮が入っていたプラスチック製の竹筒を、ガスコンロで熱したカッターナイフで切り出したもの)を噛ましていたのだが、今回はそれをちゃんとするためにサドルの溝を一回埋めてまた掘ってもらうことになった。そこまでするか~って作業だ。あとはフレットの擦り合わせと、下手したらナットの作成。

これはめっちゃ弾きやすいギターになりそうやでぇ~。


僕はほんまにギターの扱いがひどいのでリペアの人に怒られるかなーとか思ってたんやけど、一緒に悲しんでくれる接客だったのでほっこりしました。

 

1ヶ月後には返ってくるのでレコーディングをしたりしなかったりするかな。少なくともボロギターの音をわざわざ残しているという後ろめたさはなくなるので嬉しい。


カッターナイフをガスコンロで熱してプラスチックを切るのはミニ四駆時代の応用だが、面白がって真似しないこと。真似するなら真剣にな。


2020年9月8日火曜日

note始めました

 

キンアン(kindle unlimited)の流れで作家さんらのアカウントを見てたらnoteやってたりするじゃないですか。それで、あ~noteって使えるのかもと思ったのです。以下に、

・意識高そうな雰囲気やのにこんなにのびのび書いてもええんかい

・mixiでいうコミュニティみたいなのがあるんかい

・音源つきで記事書けるんかい

以上に加えて、今までと違う場所で僕を見つけてもらえる機会になるかもしれないと思ったのです。有名になりたいわけじゃないけど、価値観を共有できる人がもっといたら楽しいそうだから。



そしてこのブログは続きます。こちらは意識低い系の取っ付きにくい系で、他人が読む気が起こらないような雑文を気分次第で書くユートピアとして続きますよ。ライブ後記などもここに書くつもり。

もともとアメブロからここに引っ越したのも、アメブロの賑やかな感じが嫌になってきたからなのだ。ここでコメント欄もなしにダラダラ書けばええやないかと思っていたその次の瞬間。いや、早4年?

noteを使いはじめてみましたが、使いにくかったら平気でやめるかもですが、たぶん大丈夫です。noteの方は、僕のことを知らない人が見ても比較的わかりやすいように努めて音楽や絵を載せていこうという企画です。ダラダラ書くのも読むのも好きだがnoteでそういうのはやめてみる。おっしゃるとおり、こんなこと言ってても方針はコロコロ変わるのでよろしく。初志貫徹よりも朝令暮改…いやいや臨機応変と言ってくれ。



さっそくnoteで最初の記事を書こうとした。インターフェイスのデザインが意識の高い系の敷居高い系だったのでお腹痛くなって一回下書き保存した。お腹痛くなったのはヒユです。

あとnoteって読み方「のて」ですよね? 当たり前か…

冗談はさておきリンクを貼らずにお話を終えそうでした。こちらです。

https://note.com/nket


おねがいします!


2020年9月1日火曜日

キンアンを終えて②


ちなみに、今回はキンドルアンリミテッド自体に対する所感ではありませんが… 


※食えたい

未知なる無料または安価な漫画を探していると、連載が終わった漫画やインディーズ漫画によく出会うことになる。ギャグも面白いし絵も好きだとなるとネット上で作者を探してみることになる。

すると、なんということでしょう。ほとんどの作家さんが、連載終わってそのまま同人誌だけやってたり、すでに絵などやめていたりするではありませんか。食えない世界なんですね。食えないことに驚いたというか、音楽界隈のパラレルワールドを見ている気分になりました。

音楽でもありますよね。インディーズとか中古CDとかで聴いたバンド調べたら、もうその人たちは音楽自体やってなかったりってことがありますよね。ゆっくりその人のペースでやってくれていたら大喜びであり、それが同人誌かSNSの落書きくらいに当たるのかな。

音楽界隈と構図が似ている部分とそうでない部分がありますけどね。類似点をカイマ見た。

音楽業界っていうか界隈ですね。


※支援

ピクシブファンボックスやnoteで月額支援できるっていうシステムがあって、それはいいなーと思った。っていうシステムがあって...って他人事みたいに言っているが、自分もやろうと思えばできるねんよな。でも僕の身の周りではそういうのを利用して音楽やってる人はおらん。一段離れたら結構おると思うけど。少なからず求められながら芸術をやっているなら支援される権利はあると思うなぁ。そいつが死んでお前が困るなら今お前が支援しろ、という原理ですね。

という原理から好きな画家は支援したい!と思ったんですが、これは自分が同業者じゃないから支援したいと思ったのかな? 対象が音楽だったら「みんな苦しい。俺もお前もな。まぁせいぜい頑張ってくれ」ってなると思うねん。今まで無意識にそう捉えてたということに気付かされたのかも。

自分のできないことで感動してそれに投げ銭したいってのは当然のことか。自分ができる分野に対してはそれをする心理的余裕がないのは、そりゃそうか。

僕は音楽の人間なので、音楽人が音楽に失敗して飢え死にしてもロックンロールだと思えるが、他の分野の人が失敗して飢え死にするのは見てられないんですね。なんかそういう、うーん、そういう思考回路が人間にはあるのかもしれん。

普通の仕事ができない人もいますからね。そういう人が作る作品のほうが面白かったりするし。


※見せ方

作家さんらがそれぞれ今からどうなりたいのか(売れたくてムラムラしているのか、のんびりやりたいだけなのか)わからないが、みなさんとてもクリエイターのように見えた。しかしそれは自分ができないことをやっているからってだけなのか? 僕も見せ方を考えないといけないと思った(今に始まったことではない)。適当だが昔よりはマシになっている。


※発掘され方

どのように見せるにしたって、キンアンで僕が漫画を掘り出したように、一般の誰かがインディーズの音楽を掘り出して「イイ!」と気に入ることはあるのだろうか。アマゾンミュージックやスポティファイでアマチュアとして上げとくとかかな。とかだとして、漫画の場合は表紙が目に飛び込んでくるが、音楽は再生するまで耳には届かない。ジャケットはあるけどな。僕の作品も海洋ゴミ同然でネットに漂わせているだけではダメだ。じゃあどうするか。電気消してすぐ寝よう。



かくしてキンアンは僕の頭をかきまわしたが、行動の変化はすぐにではなく後々ジワジワ現れるであろう。今、キンアンに追われることもなくなったのでピアノを触ったりしている(もちろん触るだけでなく弾いてるんですよ)。なのでこの調子で大回りしてギター弾き語りに戻ったときに、すごく新鮮な目で自分を見ながら活動できるのではないかと期待している!

まじでマルチな才能を発揮とかじゃなくて興味が散漫なだけですね。