こんなことを言っては怒られますが、僕は毎回オリンピックの時期はゆううつです。テレビをつけてもSNSでもオリンピックの話ばかりで、「こんなに素晴らしいのになんでお前興味ないの?バカなの?」と言われている気分になるからです。
ワールドカップの時もそうなのですが、なぜスポーツは国民共通の話題として取り扱われるのでしょうか。他のジャンルの世界的祭典のときもいちいち取沙汰してくれるなら文句ないんですけど。
僕は別にスポーツ自体に興味がないんじゃないんです。ルールが分かれば見ていて面白いですし、野球見に行きたいなーとずっと思ってます。競技自体を見るのも嫌いじゃないです。見だしたら最後まで見たくなる。自分のペースで見させてよ、じゃないとぉ、すぐにつぶれるぅぅぅう!すみません持病のぎりぎりちょっぷが出てしまいました。だからまぁメダル何取ったとかいちいち知りたくない。テレビやネットを見てると知らないことができないし。普通のニュースが見たいんですけども…。
五輪までのプロセスも含めて面白いのであるし、まぁメダルはすごいけど4位もすごいし、出場できるだけですごいですし。すごい。
大会では基本的にみんな金メダルを目指していると仮定して、金じゃないと悔しくて泣く人の気持ちはわかると思う。金と銀の差はめちゃくちゃ大きい。銀取ったら「○○五輪銀メダリストの△△さんです!」って一生紹介されるんやろうし、一般人からしたら「金ちゃうんかい、すごいけど」ってなりますよね。
だから「銀でもよかったやん、頑張ったやん」とか気安く言えるもんでもない。だから、金取った銀取ったとかは、周りがヤイヤイ言うものではなく、アスリート本人が腑に落とすものだと、僕は感じているような気がしないでもないとわかってきたかもしれない。ここが違和感の原因ではないでしょうか。
銅メダルが欲しいんや! ミスって銀取ってもうた!!泣 みたいな人がいればいいんですが。
一方、音楽とか絵とかなら「うまくなくてもそこがいい、いやむしろヘタやないとアンタの芸術は成り立たんよ」ってことが珍しくない。プロであってもね! しかしスポーツはそんなことなくない? 全然うまいことないけど、そこが最高!高確率でミスるけど、チームには居てほしい!とかある? 草野球的なコミュニティで和気あいあいとやっているのとはまた別でです。
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もしヘタでも評価されるなら、あるいは放っておいてくれるなら僕はきっとスポーツをやめませんでした。
僕は中学では陸上部で、日々の練習は好きでした。しかし大会は嫌やったなぁ。全員が出ないといけない大会とかもあって、「いや記録とかどうでもいいし上位に行かれへんのわかってるから楽しくないんやけど」と思ってた。今掘り起こしてみるとですね。ノルマなく走ったり跳んだりするのは好きでしたよ。
ギターを始めてから半年足らずで陸上部を辞めたのは、楽器演奏と自分の相性が相当よかったからに違いない。音楽にも頂点を決定する競争はあるけど、少し見方を変えると自分が評価される方法って無限の選択肢があると思う。ナンバーワンを目指さなくていいというのが「弱さ」だと後ろめたく思ったこともあるけど、やっぱこっちの方が自分には向いてます。あれがダメならこれで、とニュルニュルっと、やってて見てもらって楽しいものを続けていきたいです。
クソヘタな人を集めてフットサルとかバスケとかダンスをやるサークルがあれば是非行ってみたいです。でもその中で自分がうまかったらダメなんですよね。難しい。うーん、バンドサークルではそういう現象ありますね。
そう考えると弾き語りのオープンマイク界隈は個性があってナンボやから、最も平和な部類なのかなぁ。
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オリンピックに関しては金銀銅メダルを継続でいいです(誰やねん)。128色くらい作って、「笑顔がよかった」「オシャレだった」「いっぱい食べた」とか優劣つけずに多数の賞を与えるとか、しなくていいです。