You are what you eatということわざがある。
人は食べたものでできている。
直訳すると「お前はお前が食べた物そのものだ」という意味。
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社会人としての自我が形成されてだいぶ経ってから医療業界に片足を突っ込んだ。
以前はそんな風に考えなかったけども。
僕は医療などまったく興味がなかったしむしろ避けて通りたかった。
人体の不思議展とか怖くて行けなかった。
小1のとき人体解剖図を見て、えっあの娘も中身はあんなんなん?と落ち込んだ。
そんな調子の人間だからあらゆる病気は薬や手術で治ると思ってたし、
ガンもすべて治る時代が近いうちに来るんでしょうなと軽く見てた。
今は医療行為は最終手段だと思っている。
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初めて翻訳の仕事を探すときにジャンルを絞らなかったので、
たまたまメディカルになった。
翻訳学校や通信講座では、
今後役立つかもしれないと考えて契約書や国際的なことや金融関係のことを中心に、
あるいはもっと一般的な、観光案内、スポーツ、新聞、レシピなど
何でもできるようになろうとしていた。
が、たまたま未経験で募集してて決まったのでメディカルに。
どんなジャンルになっててもオタクになっていたとは予測できるが、
メディカルでよかったと思う。
明るい意味でも皮肉な意味でも、これからもなくならない産業だ。
僕がメディカルをかじってもうじき4年が経つ。
それで一応いまどきの医療の「常識」に慣れてきた。
以前の自分は本当に医療の知識がなかったし、
今は今で1つわかると2つ疑問が生まれるので知識には終わりがないという感覚だ。
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人間が作った物には基本的に取扱い説明書がついていて、
やるべきこととやってはいけないことが明らかになっている。
ところが人間が生まれた時、説明書はついてこない。
医学のあらゆる研究活動が、人間の説明書を作っているように見える時がある。
その割には新しい「常識」が周知徹底されてないけど。
その「常識」もモノによっては2、3年経てば期限切れなので、
研究結果などは現時点での仮の答えにすぎない。
実際に(僕が目にするような症例報告や研究の)論文の最後はだいだい、
さらなるデータの蓄積が必要だという文句で締めくくられている。
つまり、テレビや雑誌で新常識が流れてきてそれに飛びつくのはいいが、
その後をちゃんとモニターしていないといけない。
数年後に「あれば間違いっていうか真逆でした」なんて言われることは珍しくないからである。
最新情報が正しいとは限らないので、
どれほど医学が進んだところで責任者は自分であるらしい。
以前、僕は医師の言うことには「はいそうですか」としか思わなかったし
それは仕方のないことなんけやけど、
医師の判断というのは医師によって全然違う場合もあるだろうから、
患者も患者なりに考えるべきであり、ミスがあったら全部医師のせいとかいうのは
ほんまはあってはいけないことなんだろう。
解熱剤ひとつにしたって介入自体がイチかバチかなので、
覚悟を決めなあかんのやほんまは。
アナフィラキシーで死ぬかもしれんし。
クスリはリスクという使い古しの駄洒落は残念ながらその通りである。
リスクのないクスリなどない。
クスリで解決するからOKなのではなく、
僕たちは常に「マシな選択」を迫られているということである。
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説明書に戻る。
僕は今年の健康診断で初めて腹部エコー検査を受け、
軽い脂肪肝を指摘された。
脂肪肝でも軽いものは血液検査ではわからないので、
20代かそれ以前から蓄積されていた可能性が高い。
どうやら可逆的なものらしく、自分で改善すべくまずは脂肪肝に関する本を買った。
脂質よりも糖質の方が身体にたまりやすいとか(今なら言われたらわかるけど)聞いてないし、
糖質も脂質と一緒に摂取すれば吸収が緩やかになるとか聞いてないし、
酒のつまみに糖質(ポテトの甘い罠)は厳禁とか聞いてないし、
まぁ公開されてる情報やし知ってる人は知ってるんやろうけど、
早く知りたかったわ。
そんなんやりまくってたやろ。
この本に載っていることが昔からの常識ではないにしても、
僕の出生時に何らかの説明書が添付されていたら脂肪肝にはなっていなかったはずだ。
そんな無茶な食生活はしなかったはずだ。
医療関係者みたいになってから多少気を遣えるようにはなったがまだ4年足らずの話だ。
こういうのはプロアクティブ(事前に行動する様)にやっていかんとあかん。
情報が公開されていても気付けないらしい。無理なもんは無理なんやけどさ。
今の生活を続けていれば次にどこが悪くなりそうか、たまに考えるようにせんと。
悪くなったら医療で治せばいいというのは通用しないようだから。
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地味やけど転ばぬ先の杖やな。
でもバランスは大切。
カップラーメンやコンビニのパンなど体に良いわけないけど食べる時は食べますよ。
エンターテイメントですよ。
我慢するストレス、他に食うものがないという状況も考慮して、
そんなんしゃーないやろと割り切ることだ。
医学的に正しい生活に縛られて人生を送る義務など、僕らにはないのだ。