2019年1月19日土曜日

正月用ブログ



年始に書きかけてほったらかしやったので、
完成さしときます。


今年もよろしくお願いします!

正月にいろいろ考えんでもいいんですが
またいちいち考えてしまう悪癖。

新年ってこれあくまで太陽暦ですよね。
昔の日本人としてはあんまり関係ないはずの。
まぁ、かといって2月の旧正月を意識するかといえば僕はしないです。

あと、元旦じゃなくて元日な。って思うことが毎年多すぎる。
元旦は元日の朝やん。

あと、「新年明けまして~」
が誤用かどうか。
確かに新年が明けたわけではない。
明けたのは旧年だ。
だから誤用だ!とする立場がある。

しかし、「新年」と「明けまして」が元々独立した文章だとは捉えられないだろうか。
つまり、「新年ですね皆さん!いやはや明けましておめでとうございます!」
の略。

この気持ちで使えば別に誤用じゃない。
ていうかほとんどのことはどっちでもいい。

シミズマサトという人が言っていた言葉だ。
ほんまに、ほとんどすべてのことはどっちでもいいのだ。
ただ白黒つけるのが正しいと思ってる人が多いだけ。

ただ翻訳をしてると、ある語が
「どっちでもいい」のか、「どっちでもよかない」のか、
このどっちかに決めないといけない場面に出くわす。
職業病なんや、すまんの。

白黒つけるんやなくて、
「どっちでもいい」vs「どっちでもよかない」
の切り分けは大事やぞ。


ところで、去年の暮れに実家が移転した。
これといって大きなインパクトはない。
便利とも言えない町から同様の町へ。
駅チカになったのでまぁ便利か。

実家に帰るといつも思うが、
みんななんとスローな生活をしていることか。
いや、そう見えるだけかもしれない。
僕が家事をしてないから怠けた気分になるだけかもしれない。
家族はSNSをやってないから余裕があるのか?

いずれにせよこの気持ちを大事にしたいと思った。
できるだけイージーにレイジーに今年はいきたい。
音楽やってる以上、やることはなくならんし、
SNSともうまく付き合っていった方がいいかとは思う。
けどちょっと情報過多やったかなー。


情報過多。
通勤の苦痛といえば満員電車が連想されるだろうが、
満員それ自体が害ではない。
去年よく思ったことには、
男性の耳の後ろと広告がイケナイ。

心理的パーソナルスペースを確保するため、普通はみんな向かい合わないので
基本的に違う方向を見ている。
そこで無意識に見てしまうのがオッサンの耳の後ろである。
見てて全く気持ちのいいものではない。
もちろん僕も加害者になっている可能性がある。
でもわざわざ隠すのもおかしいので目を瞑るしかない。

もうひとつの害が脅迫的な広告。
英語喋れない、この本読んでない、こんなお得なバーゲン知らないあなたはヤバい。
と絶えず叱られてるように感じてしまい、心の中で反論する。
100万人が感動したのかどうか知らないが僕はそこにはいない。
全く無駄な労力を使っている。やはり目を瞑るしかない。

通勤中にできるタメになることを最近模索しているところである。


いやぁ暗い話になってしまいましたね。
ところで僕は年が明けてもまた体操服を忘れる夢を見ました。

去年も10回くらいは見たはず。
体育の時間の直前に気付くからほんまに焦る。

高校の体操服をいまだに寝間着にしてるからか。
それだけが理由ではないだろう。

今年もよろしくな!