年始に書きかけてほったらかしやったので、
完成さしときます。
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今年もよろしくお願いします!
正月にいろいろ考えんでもいいんですが
またいちいち考えてしまう悪癖。
新年ってこれあくまで太陽暦ですよね。
昔の日本人としてはあんまり関係ないはずの。
まぁ、かといって2月の旧正月を意識するかといえば僕はしないです。
あと、元旦じゃなくて元日な。って思うことが毎年多すぎる。
元旦は元日の朝やん。
あと、「新年明けまして~」
が誤用かどうか。
確かに新年が明けたわけではない。
明けたのは旧年だ。
だから誤用だ!とする立場がある。
しかし、「新年」と「明けまして」が元々独立した文章だとは捉えられないだろうか。
つまり、「新年ですね皆さん!いやはや明けましておめでとうございます!」
の略。
この気持ちで使えば別に誤用じゃない。
ていうかほとんどのことはどっちでもいい。
シミズマサトという人が言っていた言葉だ。
ほんまに、ほとんどすべてのことはどっちでもいいのだ。
ただ白黒つけるのが正しいと思ってる人が多いだけ。
ただ翻訳をしてると、ある語が
「どっちでもいい」のか、「どっちでもよかない」のか、
このどっちかに決めないといけない場面に出くわす。
職業病なんや、すまんの。
白黒つけるんやなくて、
「どっちでもいい」vs「どっちでもよかない」
の切り分けは大事やぞ。
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ところで、去年の暮れに実家が移転した。
これといって大きなインパクトはない。
便利とも言えない町から同様の町へ。
駅チカになったのでまぁ便利か。
実家に帰るといつも思うが、
みんななんとスローな生活をしていることか。
いや、そう見えるだけかもしれない。
僕が家事をしてないから怠けた気分になるだけかもしれない。
家族はSNSをやってないから余裕があるのか?
いずれにせよこの気持ちを大事にしたいと思った。
できるだけイージーにレイジーに今年はいきたい。
音楽やってる以上、やることはなくならんし、
SNSともうまく付き合っていった方がいいかとは思う。
けどちょっと情報過多やったかなー。
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情報過多。
通勤の苦痛といえば満員電車が連想されるだろうが、
満員それ自体が害ではない。
去年よく思ったことには、
男性の耳の後ろと広告がイケナイ。
心理的パーソナルスペースを確保するため、普通はみんな向かい合わないので
基本的に違う方向を見ている。
そこで無意識に見てしまうのがオッサンの耳の後ろである。
見てて全く気持ちのいいものではない。
もちろん僕も加害者になっている可能性がある。
でもわざわざ隠すのもおかしいので目を瞑るしかない。
もうひとつの害が脅迫的な広告。
英語喋れない、この本読んでない、こんなお得なバーゲン知らないあなたはヤバい。
と絶えず叱られてるように感じてしまい、心の中で反論する。
100万人が感動したのかどうか知らないが僕はそこにはいない。
全く無駄な労力を使っている。やはり目を瞑るしかない。
通勤中にできるタメになることを最近模索しているところである。
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いやぁ暗い話になってしまいましたね。
ところで僕は年が明けてもまた体操服を忘れる夢を見ました。
去年も10回くらいは見たはず。
体育の時間の直前に気付くからほんまに焦る。
高校の体操服をいまだに寝間着にしてるからか。
それだけが理由ではないだろう。
今年もよろしくな!