2020年9月1日火曜日

キンアンを終えて②


ちなみに、今回はキンドルアンリミテッド自体に対する所感ではありませんが… 


※食えたい

未知なる無料または安価な漫画を探していると、連載が終わった漫画やインディーズ漫画によく出会うことになる。ギャグも面白いし絵も好きだとなるとネット上で作者を探してみることになる。

すると、なんということでしょう。ほとんどの作家さんが、連載終わってそのまま同人誌だけやってたり、すでに絵などやめていたりするではありませんか。食えない世界なんですね。食えないことに驚いたというか、音楽界隈のパラレルワールドを見ている気分になりました。

音楽でもありますよね。インディーズとか中古CDとかで聴いたバンド調べたら、もうその人たちは音楽自体やってなかったりってことがありますよね。ゆっくりその人のペースでやってくれていたら大喜びであり、それが同人誌かSNSの落書きくらいに当たるのかな。

音楽界隈と構図が似ている部分とそうでない部分がありますけどね。類似点をカイマ見た。

音楽業界っていうか界隈ですね。


※支援

ピクシブファンボックスやnoteで月額支援できるっていうシステムがあって、それはいいなーと思った。っていうシステムがあって...って他人事みたいに言っているが、自分もやろうと思えばできるねんよな。でも僕の身の周りではそういうのを利用して音楽やってる人はおらん。一段離れたら結構おると思うけど。少なからず求められながら芸術をやっているなら支援される権利はあると思うなぁ。そいつが死んでお前が困るなら今お前が支援しろ、という原理ですね。

という原理から好きな画家は支援したい!と思ったんですが、これは自分が同業者じゃないから支援したいと思ったのかな? 対象が音楽だったら「みんな苦しい。俺もお前もな。まぁせいぜい頑張ってくれ」ってなると思うねん。今まで無意識にそう捉えてたということに気付かされたのかも。

自分のできないことで感動してそれに投げ銭したいってのは当然のことか。自分ができる分野に対してはそれをする心理的余裕がないのは、そりゃそうか。

僕は音楽の人間なので、音楽人が音楽に失敗して飢え死にしてもロックンロールだと思えるが、他の分野の人が失敗して飢え死にするのは見てられないんですね。なんかそういう、うーん、そういう思考回路が人間にはあるのかもしれん。

普通の仕事ができない人もいますからね。そういう人が作る作品のほうが面白かったりするし。


※見せ方

作家さんらがそれぞれ今からどうなりたいのか(売れたくてムラムラしているのか、のんびりやりたいだけなのか)わからないが、みなさんとてもクリエイターのように見えた。しかしそれは自分ができないことをやっているからってだけなのか? 僕も見せ方を考えないといけないと思った(今に始まったことではない)。適当だが昔よりはマシになっている。


※発掘され方

どのように見せるにしたって、キンアンで僕が漫画を掘り出したように、一般の誰かがインディーズの音楽を掘り出して「イイ!」と気に入ることはあるのだろうか。アマゾンミュージックやスポティファイでアマチュアとして上げとくとかかな。とかだとして、漫画の場合は表紙が目に飛び込んでくるが、音楽は再生するまで耳には届かない。ジャケットはあるけどな。僕の作品も海洋ゴミ同然でネットに漂わせているだけではダメだ。じゃあどうするか。電気消してすぐ寝よう。



かくしてキンアンは僕の頭をかきまわしたが、行動の変化はすぐにではなく後々ジワジワ現れるであろう。今、キンアンに追われることもなくなったのでピアノを触ったりしている(もちろん触るだけでなく弾いてるんですよ)。なのでこの調子で大回りしてギター弾き語りに戻ったときに、すごく新鮮な目で自分を見ながら活動できるのではないかと期待している!

まじでマルチな才能を発揮とかじゃなくて興味が散漫なだけですね。