実家の前を初老の男性が通りかかろうとした。
僕は昼を過ぎたくらいにコンビニに行った帰りか何かそんなところだった。
彼はニコニコしてとても感じがよく、人並みに髪が白く薄い。
服装もこざっぱりした、ごく普通のおじさんとおじいさんの中間の人だった。
「今ちょっと2000円ほど貸してくれませんか。あとで4時ごろですか…ここでケーキでも持って待ってますから」
彼は、お金を持たずに買い物に出かけてしまって困っているようだった。
あとでお礼をしに来る、という内容だった。
それは大変、と2000円を渡した。
もちろん彼は戻って来なかった。
しかも僕は、
それを母に話して「そんなん嘘やん」と言われるまで
だまされたことに気付かなかった。
こういうのは獲得免疫のようなものだ。
若いころに自分で体験しておかないと、
大人になってからだまされると金額が大きくなるだけでなく
頑固に信じてしまってこじらせる。
だまされ体験談などいくらでもあるが、自分だけは大丈夫と高をくくる。
生まれながらにして胡散臭さを見抜ける人は少ないように思う。
*
知り合いがアメリカで金をだまし取られたというのをFacebookで見て、
このおじさんのことを思い出した。
海外でだまし取られたとは言っても、このおじさんのやり口とほとんど変わらない。
クレジットカードがなくなって~という言い分だったそうだ。
しばらく「良いことをしたなぁ」と思ってしまうやつである。
その知り合いは海外生活が長かったので、まさかと思った。
今までいい人に恵まれていたのだろう。
*
僕もオーストラリアにいる時にそういうのは何回かあった。
その一。
夜8時くらいかな。
シドニーの、アーケードじゃない商店街のような、
店がいっぱいあってその間にベンチが設置してあるところ。
浮浪者かどうか見分けがつかない程度の小汚いおじさんが話し掛けてきた。
「金を貸してくれないか。クレジットカードの番号を教えてくれればあとで返しておくから」
まずクレジットカードの番号を教えれば返せるのかどうかが最大の疑問だった。
もちろん断った。
その二。
雨の日。
夜11時ごろ、これもシドニー。
飲みに行って家に帰ろうとしていた。
困っているっぽい30歳手前くらいの男とすれ違う。
傘を持たず、ぐっしょり濡れている。
「財布も携帯もなくして家に帰れない。6ドルほど恵んでくれないか」
僕はお金に余裕がなかったし、僕のことを【こいつなら金をだまし取れるだろう】と見積もる人々に腹が立っていたので断った。
ただ、これはもしかしたら本当だったのかもしれないなと今でも思う。
若者が一日帰れなくて死ぬ時代じゃないし許してほしい。
あとは取るに足りないようなのがもう一つあった気がするが、
詳細を語るほどの内容はない。
オーストラリアの生活ではむしろ、
ストレートにお金を乞う人の方がはるかに多かった。
信号待ちをしていたら貧しそうな人が片手をお椀にしてやってくる。
フードコートでも。
最初のほうは、こんなもんなのかなと小銭をあげたような気もするが、
それから避けるようになって、覚えていない。
僕だって、バイトのまかないと食パンが主食のような生活だったのだ。
*
こういう体験は、僕だけじゃない、
みなさんもおありなのではないでしょうか。
貸すときはあげるときだと思え、ですね。
お金には自分の名前を書くことなどできないですから、
返してもらおうなんて、川に落ちた雫を取り戻すようなものです。
とか考えて生きていると、
お金に限らず、何においても若いころほど見返りを求めなくなりました。
そして、信頼している人たちにしか尽力しなくなりました。
それでいいと思います。
授業料2000円とは安いものです。
と、そのおじさんは、おじいさんになった今も
見知らぬ町の高校生から金を巻き上げるのでした。