2019年12月17日火曜日

最近の出来事アソート


●グレートギャツビー(村上春樹訳)を読み終えました

波に乗るまでだるい話なので何回もストップしました。(しかも波がひとつじゃない)
でもなんとか読み終えたいので
ストップしそうなときは続きが気になるところでやめるようにした。

これ雰囲気が村上春樹の長編にも似てるなぁと思ってたら、
訳者あとがきに、この作品が村上氏にとっていかに大切かが彼自身によって記されていた。

どんな雰囲気なのかというと、
捉え方によっちゃ血も涙もないが、言い換えれば皆自由に自分の裁量で行動している。
世に言う「絆」がそもそもないから裏切りも裏切りにならない。

僕は絆というものは後方視的にのみ説明されるべきものだと思う。
(という仮説を最近思い付いた)
要するに「今僕らは固い絆で結ばれている。共に頑張ろう!」というのは変で、
「あのときは皆共にひとつのことを成し遂げた。言うまでもなく固い絆があった」というのはオッケーなのだ。

どちらにせよ「縛り付けてくれるな、そこに偶然居合わせただけだ」と僕は思うのであるが。

てな風に本当に、グレートギャツビーの話の中では皆サイテーな行動をしているのだが、
僕はむしろ人生そんなもんだと思っている。
サイテーの内側に居る人は楽しい。
現実世界には自由に行動する人に対して我慢できない人が多いよなぁなんて思ってしまう。
明らかに僕が少数派なんだろうけど、それを代弁してくれる物語であった。
他にも素晴らしい点はたくさんあるので、
数年後に読んだらまた違う感想になるだろうな。

この小説が書かれたのは1920年代。えー100年前?
訳者あとがきにもあったが、不朽の名作はあっても不朽の名訳はない。
その時代によって再度翻訳される必要がある。

この本を誰かに薦めるかとしたら村上春樹好きな人向けかな。
訳者によって全然違う話に見えるらしい。
まぁ原書を読めってことやな...
とにかくあとがきコーナーはこの本の中でいちばん面白かった。
本末転倒みたいだが、本編を読んだからこそ面白かったのだ。

やっと読み終わったわ。
読もうとしてからどのくらいの時間が経っていたか、
僕の家にもう一冊全く同じ本があったことについ先週気付くという状況が物語っている。


●電気茶道部

昨年11月に活動休止、今年4月に単発で復活、
そして今年11月に完全復活した。
復活はしたが雰囲気をガラッと変えていた。
先月は新しい曲を全然知らなかったのでライブ中のほとんどをテキトーに過ごしたのであるが、
今月はハモりを頼まれ、練習音源をもらったのでちゃんと一緒に歌えた。

楽曲の予習をあんまりみっちり早めにやると眠れなくなる。文字通り眠れなくなる。
別の言い方をするとものすごいストレスになる。
嫌とかではなくて、できる自分になりたいが故の山ごもりやな。
3曲やって眠れなくなったので、俺ならいけると高をくくって、
あと4曲は当日に音源を聴いてハモるパートを覚えた。
簡単な曲も含まれていたのもあるが、
当日の1時間半程度でよくやったと誰かに肩を叩かれたい。
誰も叩いてくれないのでここで告白した。

コーラスを記憶するにあたって僕なりの近道がある。
それはキー、コード、余裕があれば音譜を書き出すことである。
(真面目な音楽人なら当然の作業やないか、すまん)
視覚化して何回か見るともう見なくてよくなる。
この方法が役に立つということは、僕にもいわゆるダイタイ音感の体験版みたいなものが備わっているらしい。
ピアノを弾く人は音感が身に付くと聞くが、
僕も大人になってからはギターの指板を音名で見るようになったので、
ギターだったらだいぶ想像できるようになりましたよ。
楽譜の読み書きができなくても音感がなくても大丈夫てのはもっともな話だが、
セッションを頻繁にやるならばやはりないよりはあった方がよい。


●メトロノームは本当に毒か

毒だと思っていた私です。

ここ数年たまにメトロノームで練習するようになって、
自動的にギターがうまくなりました。
メトロノームの使い方をきちんと習ったわけではないので自己流ですが、
半分のテンポで完璧に弾けたら目標のテンポで弾けるらしい。
逆もそうであり、何回弾いても惜しいところで弾けないフレーズは、
半分のテンポでもつまづく。
そのフレーズを弾くための神経回路が出来上がっていないのだ。
そんなときは4分の1から始めて300回くらい弾けばなんとかなり始める。

半分のテンポで弾く練習には、神経回路理論とは別に大切な要素がある。
元のテンポにおいて、狙ったタイミングで弾くのが10個の数字から5番目を見つけ出す技術だとしたら、
半分のテンポなら100個の数字から50番目を見つける技術ということになるのだ。
ちょっと気を抜くと48番目とかになってしまう。
半分のテンポで弾くことに慣れると、元のテンポではリズムを狙い打つ作業が容易になる。
↑一つの切り口にすぎぬです

したがって、メトロノームで練習すると魂を抜かれる(グルーヴが死ぬ)かどうかは、
その人の意思に左右されると思う。
100個の的からひとつを選んで撃ち抜けるのだから、むしろノリをコントロールできるようになるはずなのだ。
「正しいリズム」を意識しすぎて馬鹿正直にやると機械みたいな味気ない演奏になってしまう。(それが必要なときも多々あります)

完!