2019年9月7日土曜日

解説:君の夕方


書こう書こうと思いつつもライブの仕込みでそんな暇がありませんでした。

走り書きでもいいから触れておきましょう!
君の夕方の「僕の【夕方】は早いが誰かの言う【夕方】はほとんど夜やん」
というアイデアはもう5年くらい前からありました。

が、それで論点をどっちに広げたらいいものかわからなくて
広げようとしたことは何回もあったんやけどなかなか取るに足りなかった。

そして偶然今年、偶然別の状況と結び付けて歌になったのである。
だから「君の夕方」という言葉に最初から強い思いがあってストレートに出たとかではない。



「僕」は家で(日が傾いてるのに今さら?)と思いながら洗濯物を干して「君」と待ち合わせをするんですが
「君」は、例えば「僕」が実家暮らしなら
同居してる母と百貨店で待ち合わせするのでもいいのです。
何でもいいんですけど、
こういう何でもない生活が続いているのっていいことやなってな。
生活はいつでも突然変わるものやけど、
突然変わるなんて思って生きてたら頭おかしなってまう。
だから「あぁこれがずっと続くな」って無意識に思えるように、脳はなってるねん。知らんけど。

仕事で病気のことばっかり見てるが、
明日自分が難病にならないという保証はない。
医療翻訳を初めた当初は心を病むのではないかと思った時期もあった。
そう言ってる人も多い。医療関係はみんなそうかもな。
が、そのうちに「どこかでつながっているけどかなり遠い国の話」と割り切れるようになった。

割り切れんとな、そんな恐怖に怯えて毎日生きられないだろう。
でも「いつも変化は突然だから一日一日を大切」にって、そうなんですがそんな胡散臭い風じゃなく、
薄目を開けてぬるま湯に浸かっていればいいのです。
気持ち良いぞ~ぬるま湯は。
自分の湯を探すのじゃ。

結果この歌では、「君と僕」ではなく、もっと引き目で見た人々の生活の営みのことを描くという方向になった。
いろんな価値観を持った人がいてよく争っているが、
本当の和解ってまぁどだい無理なんだろうと思う。
わかるはずがない。だって、「そんなことも知らない人がいること」さえ知らないのだから。おるよ。おるおる。
でもそんなの知ったところで自分の意見の軸がなくなってしまって黙り込むだけなのだ。
だから僕はオーストラリアからサッサと帰って来たのだろう。

視野を広げればいいってもんではない。
みんなイザコザを棚上げしてそれぞれの村で暮らすのがいちばんの解決策とも言える。
でもそれは極端、それはそれでヘン。
だからもうホッタラカシでなんとなぁく美味しいところだけ食べて生きたらいいんちゃいますか。
そりゃもちろん、嫌やけどやらなあかん事柄はやりつつ、他人の心証を害することなくな。

「君の夕方」3つの要点
・単語の意味合いは人によって違う
・みんな「何で?何でわからんのん?」と思って生きてる
・日常は延々と続く「見込み」

こうやって書くと重いな!



曲については、前作「おでこ~」が難しすぎたため、
練習しなくても弾ける仕様にした。
ちょっと稚拙かな?と思ったけど、そのくらいが理解されやすいようだ。
仕掛けだらけにしても自分が喜ぶだけやし。
イントロからAメロは昔に対バンしたNilescapeというバンドのシングル曲「Baboon」のイメージで作った。
これを機に改めて聴いてみると全然違うかった。
そらそうや、めっちゃ聴いてたわけでもなかったし。
でもあの曲は心に残ってたのです。

「『君』は誰でもいい」とか申しましたが、
一般的にはカワイイ女の子がいいんやろうから(というか最初はそうしようと思ってたし)、
状況のつじつまが合いそうだったので、
グッドモーニングセレナーデの歌詞につながる余地を残しました。
たまたまキーも同じAやし。

まぁ、どうでもいいよね…




毎度ですが未来人たち、このリンクは既に消滅している。
完成版の音源を聴きたまえ。

歌詞の内容にベタベタ触れてしまったが、自由に聴いてくれ!

聴けるか!